いよいよ秋

2010年9月24日

 今年も、私の弟子が学生音楽コンクールに出場し、2名が予選を通過した。去年は東京都名古屋で一人ずつだったが、今年は東京で2名である。コンクールという競争は、自分が出ていた時からあまり好きではなかったが、弟子の演奏が認められるのは素直に嬉しい。毎週こつこつ教えてきた努力が報われた気がして、無邪気に喜んでしまう。

 だが、最近つくづく思うのは、生徒が上手になるのは本人の実力が7割、指導者の力が3割程度ではないか、ということだ。私の弟子たちも、成功しているのは彼らの実力があるからであって、特に私の指導が良いからというわけではないと、自分を戒めている。もちろん、先生と生徒の間には相性というものがあるし、その生徒と出会う時期、つまりどのタイミングで指導するかによっても、うまく行ったり行かなかったりする。いつ出会うかは、私たちが決めるわけではなく、運命の神様が決めてくれるのだから、良い生徒に恵まれた時は素直に感謝しなければならない。

 才能のある子供の演奏を聴いて、「あのような子供を教えてみたい」といくら思っても、その子供との繋がりは持てない。運命の糸が繋いでくれて、初めて幸福な師弟関係が生まれるのだ。今私のところで勉強している小学生や中学生は、喜んで私のレッスンを受けている様子が毎回伝わってきて、こちらが自然と笑顔になるような関係が続いている。これは、非常に幸福なことだし、私は強い責任感で、その生徒たちの気持ちに答えなければと心を引き締めている。本選で彼らがどんな演奏をしてくれるか、とても楽しみだが、決して欲を出さず、ひたすら自分がよりよい音楽を奏でることだけに集中してほしいと願っている。

 私自身の演奏の方も、サイトウ・キネンを終わって、気持ちも新たに活動を開始した。昨日は清里のリサイタルだったが、悪天候で心配したものの、かなりのお客様が集まって下さり、美寧子と私が演奏するシューベルトとベートーヴェンに熱心に耳を傾けて下さった。そして明日は、都内の南大塚ホールで開かれる「視覚障害者9条の会」の主催する集いで演奏する。私はこの会の呼びかけ人の一人だが、ほとんど何も活動できていないのが現状であり、今回のお話しは喜んでお受けした。主催者はコンサートを開くことに慣れていない人たちだが、数ヶ月前から熱心に取り組んでおられた。また、私たちの音楽の前には、詩人のアーサー・ビナード氏の講演もある。演奏直前に客席へ入ってビナードさんのお話を聞く余裕はないが、楽屋にモニターがあったら聞くことができるから、それを期待している。アメリカからやってきて長年日本で暮らし、日本人以上に日本語が堪能だと聞くビナードさんがどんなお話をされるのか、とても興味がある。そして私たちも、世界の共通語である「音楽」で平和への熱い思いを届けたいと思っている。