ご隠居モード

2021年1月29日

発表会から1週間、忙しかったレッスンがパタッと止んだため、私はすっかり箍が緩んでしまった。次のコンサートは2月23日、けっして気を緩めてはいけないのだが、ご隠居モードから脱却できない日々が続いてしまった。
 練習、原稿書き、各種連絡と、仕事は少なくないのだが、レッスンがないと私は緊張感がなくなってしまう。人と会うというのは、それだけ緊張することだし、生きる上でこれほど大切なエッセンスはないと思う。コロナ禍で人と会う機会が減ったのは、日々の生活の充実という点で計り知れないマイナスだと感じる。
 今、4月18日に開催する「点字楽譜利用連絡会、設立15周年記念コンサート」に向けて、準備を進めている。細かい打ち合わせもいろいろあり、その都度メールでやり取りするのだが、どうも私はメールが苦手である。来週は運営委員会を開く予定だったが、借りるつもりだったオフィスから断られ、オンライン開催になってしまった。会って話せばわかり合えることは多いと思うが、オンラインでどこまで意思の疎通がはかれるか、不安が尽きない。
 メールだと、どうも人に誤解を与えるような書き方をしてしまうようで、嫌なのだ。「そんなつもりで書いたのではないのに」と当惑させられるような返事が帰ってきて、デスクの前で悄然と下うつむいてしまうこともある。逆に、相手のメールを誤解してしまうことも少なくないのではないかと、始終疑心暗鬼になる。友達同士で楽しく交わすメールはいくらでも大歓迎だが、仕事のメールはどうも気が重い。それでつい返信が遅くなり、迷惑をかけてしまうこともある。
 メールのマナーも、あまり好きではない。面と向かって話すわけではないから、意外と失礼なことも書けてしまったりするのではなかろうか。挨拶抜きですぐ要件に入るのも、オールド・ジェネレーションの私にはどうも波長が合わないのである。
 道でばったり会ったり、電話で話したりする時は、必ず最初に挨拶の言葉が入るだろう。ところが、特に若者は、なにも書かずに要件に入る。こちらが送ったメールへの返信なのに、「メールをありがとうございます」の1行をけちるのである。悪気はないとわかっていても、どうもムカッと来る。無機質なコンピューターの作る音声で読み上げさせなければならないというのも、メールをやりながら気持ちが殺伐としてくる原因の一つかもしれない。
 もちろん、そんなメールばかりではなく、胸の奥がほっこりと暖まるメールもしばしば受け取るのだが、どうも悪い印象の方が心に強く刻みつけられてしまうのは困ったことだ。
 とは言っても、まだ隠遁するわけにはいかないので、メールとは上手に付き合って行かなければならない。毎年千通を越えるメールを出すし、今月だけでももう140通を超えている。私なりのマナーを守りつつ、ラフなメールにも柔軟に応じて、楽しく、気持ちよくメールのやり取りを続けたいものだ。
 ところで、心の箍が緩んでしまうと、体が蝕まれる。今週は、軽い風邪を引いてしまった。「熱が続くようならコロナを疑わなければ」と医者にも忠告されたが、1日微熱が出て、体を休めたら元気になった。それでも、万一を考えてしばらくは外出を自粛するつもりだ。コロナなどにかかったら、ポツポツとやってくる生徒も来なくなってしまう。それはもう、悲劇以外の何物でもない。悲劇の主人公にならないよう、健康に注意し、朗らかに暮らして生きたいものである。