ドラマチックなシューマン

2016年10月16日

今日は、長野県の小海町へ日帰りの演奏旅行をしてきた。昨日の地元商店街でのミニコンサートに続いて2連戦となったが、不思議に今日の方が疲れ方がずっと軽かった。商店会が主催する地元でのコンサートは、もう30年近く続けているもので、地区会館の体育室を使い、毎回50人以上のお客様が集まって、喜んで聴いてくださっていたのだが、なぜか昨日はお客様が半減してしまった。理由はよくわからないのだが、商店会の広報活動になにか齟齬があったのかもしれない。集まった方々は、熱心に演奏や話しに耳を傾けてくださったが、響きの悪い部屋で、普段からあまり整備されていないピアノという悪条件の中で、お客様が減ったとなると、どうしてもこちらの気持ちが萎えかけて、それを挽回するのに大きなエネルギーを使わなければならなかった。
 「今日だけでこんなに疲れて、明日はどうなるのだろう」と正直不安だった。しかし、まずは今日の素晴らしい天気が気持ちを切り替えさせてくれた。主催者の方々のお心のこもった歓迎、たくさんのお客様の盛大な拍手、それらは皆、昨日の疲れを忘れさせてくれた。旅の途中での岩崎さんとの雑談も、私の気分をいっそう楽にした。
 小海は、1999年以来既に10回以上訪れていて、皆気心の知れた方々だ。その皆さんとの友情を、今日の演奏でさらに深めることができた、と手応えを感じるコンサートになった。本当に、嬉しく有り難いことである。
 ところで、この小海の演奏会でプログラムの最後を飾ったのは、18日の東京公演では最初に演奏するシューマンのピアノトリオ、第1番であった。私は嘗て、これほどドラマチックな曲を弾いた経験があっただろうか、と思うほど、この作品には大きな感情のうねりが見事に表現されている。それに身を任せて弾いていると、うっとりするような不思議な感覚に打たれ、毎回大きな喜びと共に演奏している。3人のリハーサルを重ねる過程で、そのドラマ性の意味が少しずつクリアになり、いっそう明確な意識を持って演奏できるようになってきている。今日のコンサートの後など、「あと1回でおしまいか「と寂しさを覚えるほどだった。
 最初から最後まで、どこを取っても素晴らしい曲だが、一つご紹介すると、悲劇的な感情に満ちた第1楽章の結びの部分。ここは、まるで大波にもてあそばれる船に乗っているような激しいうねりに、思わず自分の身体が揺れているような錯覚に陥るほどの迫力を感じる場面だ。ふと私は、電車の中で「東日本大震災」に襲われた時の恐怖を思い出した。電車が倒れるかと思うほどの大揺れ、それが収まった時は、膝ががくがくして立てないほどの恐怖に支配されていたが、同時に「無事でいられた」という喜びと感謝の念も心に湧き上がっていた。この曲でも、激しい動揺の後に訪れる1瞬の静寂が、あの時の気分を思い出させてくれる。とにかく、整った形式の中に驚くほど多彩な感情の起伏を織り込んだ、まさに「名曲」なのである。
 東京のコンサートの後半に弾くドビュッシーもブラームスも、それぞれ違った意味で味わい深い佳品だと思っている。これほど素晴らしい曲たちを、素晴らしい仲間たちと演奏できる幸せは、いくら書いても書き尽くせるものではない。これ以上書き連ねるより、そろそろ休んでしっかり東京の本番に備える方が賢明だと思うので、この駄文はここで置くことにする。18日のお客様に、この喜びを音に乗せてしっかりお届けできるようにと願いつつ……。