フランスを代表するヴァイオリニストの一人で、教育者としても名高いジェラール・プーレ氏の演奏を初めて聴いたのは、10年ほど前のことだった。京都フランスアカデミーの音楽会で、フランクのピアノ五重奏曲を演奏した時である。美しい音色で、繊細な室内楽的演奏だったことを覚えている。
その後、生徒の一人がパリ音楽院でお世話になり、今年からは別の元生徒が昭和音大の大学院で指導していただいている。それなのに、私は一度もお会いしたことがなく、いつかその機会が訪れることを願っていた。
10月に、中学生の弟子が東京でのマスタークラスを受けさせていただくことになり、ちょうど時間が空いていたので、聴きに行ってご挨拶した。その日は3人のレッスンを聴講したが、それぞれに合った丁寧、かつ厳しい指導をしておられ、さすがと感心した。私が感銘を受けたのは、手本を示すために弾かれるヴァイオリンの素晴らしさだった。いかにもフランス的な気品に満ちた美しい音、エレガントでなめらかなボウイング、70才を過ぎた方とはとても思えない見事なものだった。
先生というのは、とかく上からの目線で生徒に接することが多いのではなかろうか。私など、注意してはいるのだが、生徒に対して高圧的になったり、他の先生のところへレッスンに行ったりすると、その先生にかなり厳しく接してしまうことがある。だが、プーレ先生はそうではなかった。生徒を連れて行った私に対し、初対面にもかかわらず、深い親しみと敬意を持って接して下さったのである。「なんと素晴らしいお人柄の方だろう」と、その意味でも私は深く感動した。
ところで、私はずっと自分の左手の形について不安を持っていた。ある友達から、「親指の位置を変えたらもっと楽に弾けるんじゃないかな」と指摘されたのだ。私は、特に左手が疲れることはなかったものの、指の動きが悪くてストレスを感じることは少なくなかった。しかし、その友達はヴァイオリニストではなかったし、なかなか専門的な意見が聞ける人もいなかったので、気になりながらもそのままになっていた。
プーレ先生の素晴らしいヴァイオリンを聴いて、「一度自分のテクニックについてご意見を伺ってみようか」と思い立った。そして、10日ほど前にその機会が実現した。やはり、私の左手には問題があったようだ。先生は、ご自分が考えておられる理想的な姿勢や親指の位置など、丁寧に説明して下さった。私は、他の人が弾く姿を見ることができないので、先生から教えられたことと自分の感覚によって、これがいちばん弾きやすいと思う形で楽器を持ち、演奏していた。だが、技術を教えて下さっていた先生はことごとく鬼籍に入られ、ここ20年ほどは技術的なアドバイスを受ける機会はなくなっていた。それだけに、今回のプーレ先生との出会いは、私に新しい扉を開かせる大きな力となった。先生は私の悩みや訪問の意味をしっかりと理解され、実に適切なやり方でご自分の考えを伝えてくださったのである。
プーレ先生がお勧めになる肩当ても購入し、左手の改良に取り組みつつ、16日には小規模なコンサートでバッハの無伴奏を弾いた。これまで「指が回らないのでは」と不安を感じながら弾いた場所が、今回はストレスなく通過できた。腕の疲れも、これまでより少なかった。「この年になっても改良はできるんだ」と、私は心からの幸せをかみしめた。
バッハ無伴奏の全曲演奏が、4日後に迫っている。音楽的に、また技術的に、私はいろいろな方法で前進しようと努力してきた。そして今回は、プーレ先生のアドバイスという強力な後ろ盾も得た。3時間の演奏は簡単ではないが、自分を、そして私を支えてくれる多くの人たちを信じて、とにかく心を込めて演奏したいと思っている。