リハーサルはお流れ

2016年11月16日

 トリオの演奏会から間もなく1ヶ月、今日からは藝大で「ブランデンブルク協奏曲」のリハーサルが始まる予定だった。私にとって17年ぶりに演奏するこの曲は、同じような音のパターンがいろいろな調で繰り返し出て来るといった、やや暗譜の難しい曲である。今日は、チェンバロとフルルートと私の、ソリスト3人で合わせをやり、解釈を共有するとともに、私自身の暗譜も完成させようというもくろみだった。
 ところが、家を出る直前になって、フルート奏者から「39度の高熱を発してしまい、練習は無理」との電話が来た。「今朝までは行くつもりだった」という彼にとっても、練習を休むという判断は辛いものだったに違いない。大切な練習の機会だったのだから、健康管理には注意してもらわなければならないところだったが、風邪を引いてしまったものは仕方がない。残りの練習で、なんとか良い演奏に持って行くように努力するしかない。
 私は、病気でリハーサルや本番をキャンセルした経験は比較的少ないが、それは「仕事自体が少ない」ということの結果かもしれない。今思い出すと、キャンセルの記憶はほとんどが20代の若い時のものだ。21歳の時、始めて九州交響楽団と協演するため、コンサートの前日に飛行機で博多に到着したが、発熱して練習を休ませてもらったのが、初のキャンセル体験だ。その2年後には、咳が激しいのでNHKの録音を延期してもらったこともあった。さらにその翌年、イタリアで三日麻疹にかかり、リサイタルをキャンセルしたが、幸い1週間後に弾かせてもらって大成功した、という思い出もある。20代の私は、少し体が弱かったのかもしれない。
 27歳の冬、ポーランドの小さな町で、そこのオーケストラと2曲の協奏曲を弾くコンサートが企画された。本番は確か7時頃からで、午前中に唯一のリハーサルがあった。前の日、ワルシャワから長時間の列車の旅でその町に着き、翌朝のリハーサルでモーツァルトとチャイコフスキーの協奏曲を弾いたのだが、途中から気分が悪くなってきた。どんどん体温が上がり、夕方には38度を超えてしまった。だが、ここでキャンセルしたら、せっっかく遠くからやって来たのに残念だし、音楽会を楽しみにしているお客様もがっかりさせてしまう。付き添ってくれていた母に「なんとかやってみるから」と言って支度に取りかかり、降り出した雪の中を数分歩いて、ホテルから会場へ移動した。ふらふらしたし息切れもしたが、どうにか最後まで弾き通すことができた。「こんなに辛いのに、弾こうと思えば弾けるんだな」と、ステージの上で喜ばしい気分になったのを覚えている。
 その後も何度か、熱を出した状態で、あるいは腹を壊して朝から何も食べられないような状態で、演奏した経験がある。コンディションが良いに越したことはないし、きちんと体調を整えて本番に臨むつもりで準備はしているが、それでも風邪は引くし腹も壊す。悪いコンディションでも、何とか仕事をこなすのがプロだと思っている。
 本番だけでなく、リハーサルも我々にとって大切な仕事だ。電話をくれたフルーティストに、「ちゃんと健康管理をしてもらわないと困るよ」と、つい強い言葉を投げてしまった私だが、その後で急に心配になった。「来週は、自分が熱を出して練習を休むなんてことになったらどうしようか」と、俄に不安が襲ってきた。風邪も、インフルエンザも、かなり流行している様子だ。いくら頑張っても、そうしたものにとりつかれる可能性はある。うがいや手洗いを励行し、共演者たちに迷惑をかけないように注意をはらいつつ生活して行かねばならない。
 藝大の奏楽堂で「ブランデンブルク」を弾くのは12月3日の午後、「ミュージック・イン・ザ・ダーク」と題したコンサートだ。「シャコンヌ」を暗闇の中で弾く計画もある。去年から参加しているこのコンサートで、今年も学生やソリストたちと、楽しい時間が過ごせることを願っている。