一人で出かけて

2018年3月24日

、 私の好きな季節、「球春」がやってきた。選抜高校野球が開幕し、1週間後にはプロ野球も始まる。プロであろうが高校であろうが、とにかくテレビ・ラジオで野球を観戦するのが何よりも好きな私にとっては、この上なく嬉しい季節の到来である。
 今、私はしばらく演奏の仕事から遠ざかって、少々沈んだ日々を過ごしている。夏になれば例年通りの忙しさが戻ってくるのだが、近々本番がないのはやはり物足りないし、自分の演奏を聴いてもらえるという張り合いのない毎日は、どうやって心を浮き立たせようと努力しても、やはり寂しいものだ。そんな時こそ、なにか楽しいことをして気持ちを紛らせながら、怠らずに勉強しなければと、日々努めている。
 昨日は、少し調子の悪い膝の治療のため、あざみ野まで一人で出かけた。秋の終わりごろから、時々一人で行っているのだが、最寄りの尾山台駅まで、妻と一緒なら10分で歩けるところが、一人だと20分かかってしまう。それでも、最近はだいぶ慣れてきて、不安を感じずに歩けるようになってきた。今日も、顔が木や電柱にぶつからないように帽子をかぶり、左手には前方の障害物を振動で教えてくれる機械を、右手には白杖を持って歩き出した。
 午後の町はのんびりしており、道路の横断も落ち着いてできた。「危ないですよ」などと声をかけられることもなく、駅まで到達できた。尾山台で電車に乗る時に、駅員から「途中の案内はしなくて大丈夫ですか」と確認され、「必要ありません、大丈夫です」と答えた。やせ我慢ではない。もう乗り換えにも慣れているし、案内を頼んで、電車が来る度に「常務連絡、○号車、ご案内中です」などとスピーカーで放送されたりするのが、どうにも鬱陶しいのである。すると、駅員は無理強いせず、しかし乗り換えの溝の口と下車駅のあざみ野には連絡したらしく、それぞれの駅で、それとなく係員が近づいてきてドアの場所を教えるなど面倒を見てくれた。この「粋な計らい「が嬉しく、大いに気分が良くなった。
 あざみ野駅の改札口には、接骨院のお姉さんが迎えに出てくれた。1年ほど前から療法士として働いている人だが、もうすっかり顔なじみだ。その彼女と、院長先生に治療をしてもらう間、良い気持ちで時々ウトウトとまどろんだ。そして、およそ1時間半後には、帰りの電車に乗っていた。
 ここから先、昨日は新しいアドベンチャーを実行した。尾山台駅前の医者を訪れ、皮膚につける薬を処方してもらって、その処方箋を近くの薬局へ持って行って薬をもらうという、今まで一人ではやったことのない行程を辿ったのである。
 医者へ行くには、階段かエレベーターで3階まで登らなければならない。「階段の方が、道路に面しているから探しやすいでしょう」と美寧子が言っていたので、階段を見つけようとしたが、結局は通行人に教えてもらった。調剤薬局は、だいたいの場所はわかっていたが、入り口が見つからないので、携帯電話で店の人に出てきてもらった。少しずつ助けを借りれば、こうして一人でできる。非常に有難く、嬉しいことだ。かくして、出発からおよそ4時間半後の午後7時、目的を果たして無事に帰宅したのだった。
 今、美寧子はソロ・リサイタルの練習や種々の準備で、忙しくしている。それでも、一昨日は私の心臓の定期検査のために虎ノ門まで一緒に行ってくれたし、今日もジムまで行ってきた。一人で行けるところは、なるべく一人で出かけて、彼女の負担を増やさないようにしながら、自分も「彼女がやってくれないからできない」という不満の芽を摘み取ることが大切だと考えている。
 勿論、一人で行動する時は、二人の時よりリスクが大きいかもしれない。それは、自己責任で防がなければならない。とは言っても、一人で歩いている時だけでなく、美寧子と一緒だったとしても、自己に遭う可能性はある。昨日も、そして今日も、無事で行き続けていられることには、感謝の念しかない。こうして生かされている命は、できるだけ多くの人たちのために使いたい。
 今週は、春休み中ということもあって、生徒のレッスンも少なかったが、来週はまた通常通り、週に6・7時間のレッスンがある。来週は、3回のコンサート通いも予定している。行動的に暮らしながら、夏以降の仕事に向けて英気を養いたい。次の本番が来るまで元気で生き続けることができたなら、次に聴いてくださるお客様には、思い切り楽しんでいただける演奏を届けたい。その日を楽しみに、今夜も間もなく眠りに着こうとする私である。