今年も八ヶ岳へ

2011年7月30日

山梨日日新聞に、25回を迎えた「八ヶ岳サマーコース&コンサート」のことで寄稿させてもらえることになり、16日、17日の週末は原稿書きにはげんだ。書きたいことはたくさんあるが、限られた紙面の中で、何を地元の読者にアピールするか、どのように書くかでずいぶん悩んだ。

ようやく下書きができ、美寧子にチェックしてもらったら、「最初のところが以前書いた文章と同じだよ」と指摘された。「いつの?」と私は当惑。美寧子が調べてくれ、2004年に同じ新聞に寄稿したものが出てきた。確かに、最初のセンテンスがほとんど同じだった。「7年も前だし、自分の盗作なら問題ないよ」と負け惜しみを言った私だが、やはりちょっとまずいかなと思って書き直すことにした。

「住まいの山荘から、坂を上ってレッスン場へ歩いて行くと、あちこちからヴァイオリンの音が聞こえる。みんながんばってるな、俺も良いレッスンをしなければ、と朝の爽やかな空気を吸って自分に気合いを入れる」と、そんな内容の書き出しなのである。

サマーコースでもさまざまなシーンを振り返る時、いつもこの「朝」のイメージが心に浮かぶ。午後も夜も同じ道を歩くが、朝の道で聞こえてくるヴァイオリンやピアノの音は、他の時間帯とは違う独特の感動を私の心に呼び起こす。「彼らのためにやらなければ」と、鞭を打たれ、しゃきっとする瞬間なのである。

だが、最近はコース参加者の減少に歯止めがかからない。一時は25人もの参加者を受け入れて活況を呈していたのに、今年は二桁ぎりぎりの10人まで落ち込んでしまった。このままだと来年は一桁、それでは開催が不可能、というか、極めて意味の薄いものになる。皆で一緒に学び合う、それがサマーコースの目的である。1週間という長期間を共に過ごし、演奏したり聴き合ったり、時には共演したりしながら、音楽に集中し深めて行く。私たちスタッフは、それが円滑に運ぶようにさまざまな角度から手伝う。それが私の目指すサマーコースである。

「集団生活が苦手」とか「自炊が心配」などという日とも増えているが、学生気質の変化も、この現象の一員ではないかと思っている。以前は、音大生の参加が多く、友達同士が連れ立って、あるいはヴァイオリンとピアノのパートナーを組んで参加するケースが多かった。桐朋生がピアノ四重奏を組んで4人で参加したり、仙台からピアノトリオが参加したケースもあった。去年は、ヴァイオリンとピアノのデュオが一組いたが、今年は友達同士の参加は皆無。一つの大学から4人、5人と連れだってやってくるのも珍しくなかったのに、今は音大生の参加そのものがほとんど見られなくなってしまった。その原因がどこにあるのか、私にはよくわからない。もちろん自分では、私への評価が下がったとか、人気がなくなったとか、否定的なことばかり考えて落ち込むわけだが、サマーコースを通して大きく成長していった嘗ての受講生たちを思うと、私のやり方は決して間違っていないとの確信に至るのである。

ただ、良いこともあった。今年は、初参加の人が去年より増えたし、優秀な小学生の申し込みもあった。これは、来年以降への希望の光かもしれない。そして今年は、時間をゆったりと使って皆と例年以上に交流できる楽しいコースを目指すつもりだ。カードゲームなども持参し、時間があれば彼らと遊ぶ計画である。来年以降をどうするか、それは今年が終わってから考えるとして、とりあえず今年を成功させ、参加者たちに「来てよかった」と心底満足してもらえる1週間にするため、ベストを尽くさなければと思っている。

一方、サマーコースのオープニングとなる20日のコンサートは、歴代参加者による弦楽オーケストラが関心を集めているのか、例年より反響が大きいようだ。地元に立ち上げられた実行委員会の皆さんの献身的なサポートのお陰で、こうしたコンサートの開催が可能になった。今年のコース参加者と、音楽ファンの方々に、とびきりの一時を過ごしていただけるよう皆で心を合わせて演奏したいと、気持ちを高めている。

新聞への寄稿はようやく完成し、8月10日前後に掲載されるとのことだ。美寧子には「あまり上手な文章じゃないわね」と辛らつな言葉を賜ったが、地元の方々に私の山梨への思い、サマーコースへの思いが伝わることを願ってやまない。明日からは室内楽セミナー。四半世紀の間親しみ続けた八ヶ岳南麓の夏が、今年も私たちを待ってくれているはずだ。楽しい気持ちで出かけよう。