今年最初のコンサートを前に

2011年1月23日

今年初めての本格的な本番が明日に迫った。東京ヘレンケラー協会、設立60周年を記念するチャリティーコンサートである。

今回の私は、演奏者としての負担以上に、企画責任者としてのさまざまな気遣いがあって、その意味でかなり疲れた。だが、よく考えてみると、私はちっともたいした仕事をしていないような気がする。気ばかり遣っていてもほとんど無意味だったのではないかと、今になって思う。

それでも、私が選んで呼びかけた4人の視覚障害を持つ演奏家が、出演を快諾し、今日までリハーサルを重ねてきた。このこと事態、過去にはあまり行われてこなかった新しい試みであり、これが実現できたことに心からの満足と喜びを感じている。

私が中心になって、ヘレンケラーコンクールの出身者によるコンサートを企画して欲しいとの要請を受けたのは、去年の4月のことだったと記憶している。ちょうど5月3日に、「クリスマス・バッハシリーズ」で共演することになった武久源造さんと、プログラムなどの打ち合わせのために会うことになっていたので、ヘレンケラーコンクールの優勝者で、現在は私と共に審査員も勤めている彼に、この計画について話し、協力を求めた。幸い、1月23日の武久さんのスケジュールが空いていたので、話が動き出した。音楽的な実力から言っても、コンクールへの貢献度から言っても、彼抜きでのコンサートは考えられなかったのである。

私は、自分の胸にある出演者の顔ぶれを彼に伝え、「冒頭にバッハのイタリア協奏曲を弾いて欲しい」と話した。彼は、「ただ一人一人が別々に演奏するだけでなく、一緒になにかをやることはできないだろうか」と提案し、私には大きな課題が突き付けられることとなった。チェンバロ、ピアノ、ソプラノ、フルート、それにヴァイオリンの5人、しかも全員が全盲である。どんな曲ができるだろうか。リハーサルの方法は、などなど。

だが、メールで出演者と打ち合わせを重ねて8月には曲が決まり、主催者の手でチラシが作成された。コンサートのことが毎日新聞に掲載されたこともあってか、11月にはチケットがほぼ完売となり、「なぜそんなに評判になるのだろう」とかえって驚いてしまうほどだった。私のホームページにもあまり書かなかったのは、チケットが手に入りにくかったからである。

ところが、12月初めになって、フルートとヴァイオリンとチェンバロのためのマルティヌーの作品が、まだ点訳できていないことが判明。武久さんが、「これからではとても準備が間に合わないよ」と言い出して、私は胃が痛くなる思いを味わった。責任者として、楽譜の点訳がどうなっているかは、もっと早くチェックすべきだった。それは認めるが、他の演奏者たちも、もっと早く気付いて心配を始めてくれていれば、なんとかなったかもしれない。私の心に挫折感が広がった。また、私が組んだプログラムについて「時間が長すぎる」との批判も、他の演奏者から起こった。「少し長くなっても良いではないか」という私の考えとは、明らかに温度差があった。皆「音楽界を成功させよう」との気持ちではまとまっていたのだが、その方法を模索する過程で食い違いが起きそうになった。

だが、挫折しているわけにはいかない。マルティヌーの曲の代わりに、すでに点訳楽譜があったイベールの曲を差し替え、他の演奏者のソロも幾分短くしてもらって、どうやら皆の批判を収めた。そして、今年に入ってからはソウルでのピアニストとのリハーサル、さらに今週の水曜日からの集中リハーサルで、すべての準備が終わった。主催者が作成してくれた司会者用の台本も詳しく読んで、夜遅くまでかけて修正を加えた。これで、私のできることはすべてやった。どんな結果になるのか、それは明日のお楽しみである。

武久さん、澤田さん、綱川さんとのリハーサルでは、練習だけでなく、合間にいろいろ話すことで、ずいぶん勉強になったし、「見えないとはどういうことなのか」を考え直す良い機会ともなった。今日は韓国からのゲスト、イ・ジェヒョクさんが来日し、夕方まで私の家で練習した。アンサンブルを曲目に加えたことで、皆の心が近づき、素晴らしい雰囲気が生まれた。最初にこの企画を提案してくれた武久さんに、今は感謝の気持ちでいっぱいである。皆全力を挙げて、お客様の心に届く演奏をしてくれるに違いない。最年長の私も、より若い人たちに負けないよう、しっかり睡眠を取って新鮮な音楽を生み出したいと思う。

明日を素晴らしい1日にするために、そしてお客様に幸せな出会いの時を持っていただくために、もう1日がんばろう。