嬉しい1日

2018年5月23日

今日は、久しぶりに心が晴れ晴れする1日だった。思い切りヴァイオリンを弾いた。
 午前中はソナタの勉強会で、3人のピアノの先生方のレッスンを2時間半、そして午後は、9月からの演奏会に備えて、一時帰国の岩崎洸さんとトリオのリハーサル。「この日しかない」ということで、帰国の翌日に来てくれた岩崎さんだが、とても元気そうで嬉しかった。去年4月のレコーディング以来、1年1ヶ月ぶりの再開で、玄関のドアを開けた途端に彼からも「元気そうだね」と声をかけられ、心がぱっと明るくなった。
 妻の美寧子とは、いつもと変わらず仲良くやっているし、よくおしゃべりもする。二人で一緒に出かけることも多いし、一人で出かけることも少なくない。レッスンには、毎週少なくとも6人がやって来る。それでも、私は何とも言えない孤独感を抱いて暮らしている。なぜだかわからないが、それはいくら振り払おうとしてもしつこく付いてくる。
 いろいろな原因が考えられるが、その一つは、本番がないために美寧子と練習する機会も全くない、ということ。たとえリハーサルであっても、一緒に音楽をやることはどんなお喋りよりも楽しい。それがないのは、やはり寂しいことなのだ。
 テレビやラジオを聴けば、飽き飽きするような嫌な話ばかり。森友学園、加計学園、自衛隊の日報、北朝鮮とアメリカの駆け引き、日大アメフト選手の反則、どれもこれも嫌なことばかりだ。そして、「全ての国民は、いや全ての地球人は、自分とは違う考え方と価値観で生きているのではないか」とすら思えてしまうのである。ここまで思い詰めるのは、たぶん私の頭が老化して、少しおかしな方向へずれかけている印なのかもしれない。それがわかっているうちはまだなんとか大丈夫だと思うが、時々重苦しさに耐えきれないような気持ちになることもある。
 だが、今日のリハーサルで、美寧子と岩崎さんの3人でハーモニーを奏でた瞬間に、何かが変わった気がした。9月にこの曲を弾く。それは途方もなく先の話ではなく、もうすぐそこまで来ていることなのだ。それが実感でき、はっきりした目標をこの手に掴んだ快感があった。
 練習は、休憩を挟んでおよそ3時間。お茶の時間には、次から次へと話の種が尽きなかった。次に会うのは9月に入ってからだが、それぞれ「夏」を経験して、また新しい何かを持って練習に臨めるのではないだろうか。「身体だけは健康でいて欲しい」と祈りながら、岩崎さんと別れた。
 1時間後、10月14日の「アフタヌーンコンサート」のチラシのデザインが届いた。チケット発売まで後3週間、少々長いブランクがあったが、秋にはまたステージに復帰である。良い音楽と、そして良い音楽家と一緒なら、私は孤独ではない。それを強く実感した1日だった。