昨日は、心身にがんと一撃を見舞われたような日だった。
実は、3月から通い始めた接骨医の先生がとても上手で、医院の雰囲気も気に入ったので、14日の本番前にもう一度体のメンテナンスをしてもらおうと考えた。しかし、なかなか美寧子との時間の都合が一致しないし、3度通ってみて一人でも行けると確信したので、出かけることにした。
一人でどこか目的地まで行けるという満足感と達成感は、なかなか目の見える方々にはおわかりいただけないかもしれないが、それはそれは大きなものだ。私が育った頃の日本では、単独の外出は恐ろしく勇気の要ることだったし、誰もができることではなかった。でも今は、あちこちに点字ブロックが敷設されて私たちの一人歩きを応援してくれているし、駅やデパートなど公共機関のサービスも充実して、移動環境は信じられないほど良くなった。だが昨日は、医院の最寄り駅が複雑な駅ではなかったので、一人で改札口まで行って、そこへ迎えに来てもらえば良いと考えた。
ところが、降りた駅のホームで、もうすぐ階段という所まで歩いた時、少し離れたところからご婦人に声をかけられた。「階段がいいんですか、エスカレーターですか」と。私は階段を下りるつもりだったが、ついその人の方へ近づこうとして、1歩進めたとたんに顔面が柱に激突。左瞼の上を打撲し、内出血を起こしてしまった。注意深く、ゆっくりゆっくり歩いていたのに、なぜあの時に集中力が切れたのか、自分でもわからない。
声をかけてくれた人を責めることはできない。好意から声をかけてくれたのだから。それで集中力を切らした私が問題なのである。いつも冷静に、心を波立たせずに、と考えてはいるのだが、実際の私はちょっとしたことにパニックになりやすい性格のようだ。それが如実に表れたのが、昨日の怪我だった。
出かける前に、「日頃行く機会の少ない駅を利用するのだから、頭がなにかにぶつかっても大丈夫なように帽子をかぶろう」と思っていたのに、それを忘れて出かけた。これまた、気のゆるみと慢心だったと思う。今後も一人での外出を続けたいなら、しっかり自分を守る方法を講じ、しっかりした心で行動しなくてはいけない。それができなければ、もっと大けがをするぞ、との警告が来たのだと思う。自分の満足を叶えることも心の栄養のために必要だが、周りに心配をかけないよう、また自分も危険な目に遭わないように、バランスを取りながら生活しなければならないだろう。
昨夜は、一晩中氷で冷やしていた。痛みはだいぶ減ったが、2月にパリで額をぶつけた時よりかなりひどい。瞼の腫れが引くのにも時間がかかるだろう。当分はサングラス生活が続くことになりそうだ。
怪我に教えられて
2013年4月6日