日本を憂う

2012年4月29日

大型連休が始まった。もう、今年の3分の1が終わったわけだが、そんなに早く時が流れては困る、というのが私の感想である。そうは言っても、こればかりはどうにもならないので、受け入れるしかない。

今の日本は、震災からの復興もまだまだだし、原発事故の後遺症も大変だ。だが、どうも世の中には緊迫感が感じられない。私は、戦後の食糧不足、物資不足をおぼろげに覚えているが、あの状態とは明らかに違っている。どことなく、雰囲気がのんきなのである。これはどうしたことだろう。もちろん、一人一人が暗くなっていても、物事は解決しない。困難にあっても明るく楽しく暮らすことは大切だが、皆が「絆」の大切さを語る割には、日本社会が変わってこないと感じているのは、私の見方が偏っているからだろうか。

いや、世の中にはこの試練としっかり向き合い、真面目に何かをしようとしている人たちがたくさんいるはずだ。ただ、政府や国会議員たち、東京電力などのやり方を見ていると、なんだか「真面目にやってられないな」という気になってしまう。だいたい、福島の事故も終わっていないのに、なぜ今、原発の再起動という話になるのか、私には理解できない。少なくとも、福島の事故が完全に収束するまでは、原子力発電は使わないと決め、日本全体が節電に努めながらやって行くことが、唯一の道だと思うのだが、あまりそういう議論が起こってこないのは不思議というほかない。

送電と配電を別会社にすべき、といった議論もあったと思うが、いつの間にか立ち消えている。東京電力幹部の発言を聴いていると、どうしても事故への反省がないように思えてならない。現場で、危険を冒しながら必死で働いている人たちを思うと、いったい幹部はどうなっているんだろうと憤りを覚える。彼らの言葉遣いや声音には、どうしても反省の心が感じられないのだ。自分たちの利益は守る、そんな殻をかぶっているように思えてならない。もっと本当のことを隠さず明らかにして、電気の将来を国民全体で考える気風を生み出して欲しいと願う。

もう一つ、最近気になっているのはメディアの有り様だ。NHKのラジオは、若者向けと思われる訳のわからぬ番組を、やたらに増やしてしまった。「年寄りは深夜便を聴け」と言わぬばかりである。先週の土曜日の夜、ラジオの第1放送を聴いていたら、あまり品の良くないしゃべり方をする男女が、恋愛論なるものを戦わせていたが、そんなことが今の日本にとって重要だとはとても思えないし、逆に人々の精神をむしばみ、堕落させるだけだという気がする。いったい誰のアイディアで、あのような番組を増やしているのだろう。大衆におもねるのは、公共放送のやるべきことではないと思う。

今日の未明に起きた関越自動車道での事故について、遺族に「運転手は居眠りしていたと話していますが、どう思いますか」とインタビューした記者がいた。なぜそのように、遺族の気持ちを逆なでするような思いやりのないインタビューをするのだろう。それも、天下のNHKのインタビュアーである。本当に、いい加減にしてくれと言いたくなる。悲しみをあおるような質問をするなど、人間のやるべきことではない。思いやりやいたわりこそが、大切なのではないのか?エリートたちが働いているはずのNHKが、なぜにここまで品格を無くしたのか。それはたぶんNHKだけの責任ではなく、日本という国家全体が品格を無くしてしまったことの表れではないかと、恐ろしくなる。

大阪では、芸術文化に激しい弾圧が加えられ、それを指導する人がけっこう大衆から支持されている。その「大衆」そのものが恐ろしい。そのような大衆を作ったのは、国の指導者であり、メディアであると思う。変な指導者が出てきて隣国と事を構え、日本民族を滅ぼすようなことだけは、絶対にして欲しくないのである。

芸術や文化は、人の心を高め、豊かにする。それを排斥するのは、先進国のやることではない。私には何の力もないが、この国に住む一人として、皆が日本人らしい謙虚さと思いやりに目覚め、心を合わせてこの試練を乗り越えて行けるようにと、強く願うのである。