柔軟な心で

2020年6月5日

 今日の東京は朝から気温も湿度も高く、まるで真夏のような体感である。「6月初めにこれでは先が思いやられる」というものだが、まあ仕方がない。妻は、起きると早速居間のエアコンのスイッチを入れた。
 私は、駆け足のヨーロッパ旅行を終えて、今日あたり帰国する予定だった。そして、1週間後に迫っている静岡でのブラームスの協奏曲に向けて、旅の疲れを癒やしながら効率よく練習する方法を、あれこれ考えているはずだった。
 だが、実際の私は、先週の土曜日からずっと家に閉じこもっていた。昨日は近くの理髪店で散髪をしたが、他には散歩にすら出かけなかった。今日は、久しぶりに電車を使って、接骨院まで治療に行く予定である。
 だが、その後はまた引きこもりの生活が1週刊以上続くことになっている。当然だが、静岡の演奏会もない。これは、7月26日に延期されたが、本当に行われるかはコロナ次第、といったところだ。
 引きこもって練習や読書に耽るのも良いかもしれないが、本当はもっと活発に外出したい。でも、世の中はまだまだ正常に戻っているわけではなく、私としてはあまり出かけるところがない。それに、実際のところ、暑いのにマスクを付けて、感染を心配しながら恐る恐る出かけるのはとても鬱陶しい。
 いつかはコロナが去って、コロナ前の日常生活を取り戻せる日が来ると信じているが、それまでには意外と長い時間がかかりそうだ。「それまで自分が元気でいられるだろうか」とふと不安になったりする。
 だが、どう考えても今の生活は不自然である。これが夢なら、直ぐにでも冷めてほしい。しかし、現実は厳しい。様々な努力を重ね、試練を通り抜けて、少しずつ日常を取り戻していくしかないようである。
 8月の「八ヶ岳さまーこーす&コンサート」も今年は例外的に、個人レッスンのみで実施することにした。既に4・5人の参加表明があり、ほそぼそとではあるが続けて行かれる見通しになった。これからしばらくの間、私はこのような形で辛抱強く活動して行くしかなさそうである。
 環境の変化を柔軟に受け入れる心を持ち、居間自分が元気でここに居られることに感謝しながら、笑顔で毎日を過ごしたいものである。