誕生日を前に

2019年3月27日

早いもので、今年も間もなく4分の1を終わろうとしている。来週になれば、私はまた一つ年を重ねる。自分があと1年で「後期高齢者」の仲間になるなど、想像もできないことなのだが、事実だから仕方がない。
 ところで、去年の11月3日、私の大好きなプロ野球が、2018年のシーズンを終えた。セ・リーグ3連覇の広島が、地元でソフトバンクに息の根を止められ、「やはり実力派パ・リーグが上なんだ」と強く印象付けられる試合だった。「これで3月末まで、野球は楽しめなくなるな。来年の開幕まで、自分は元気でいられるだろうか」と本気でそう思った。
 もちろん、私より10才以上年上でも元気で活躍しておられる方は多いし、義母もまだ元気で95才を迎えている。だが、一方では私より若い人の死に直面するケースも増えた。同年代で思い病気にかかる人も少なくない。現に私も、2本の冠動脈を治療したし、大腸癌の手術も受けた。今の進んだ医学の恩恵を受けて、延長された命を生きているのだ。だからこそ、この生命を無駄にせず、多くの人の役に立つ仕事をするとともに、自分もできるだけ楽しく生きて行きたいと強く思うのである。
 毎年、最初の3ヶ月はあまり演奏の機会に恵まれないことが多い。一昨年は2週間のヨーロッパ休暇旅行を楽しんだが、去年は美寧子がリサイタルを控えて準備や練習に忙しかったこともあり、私はずっと東京にいて練習に勤しみながら、たくさんのコンサートを聴き歩いた。
 だが、今年は様子が違っていた。2月に、ブラームスの協奏曲を弾くという大仕事に恵まれた。これは私にとって、一つの試金石となる演奏会だった。多くの体力を使うこの曲が最後まで弾き通せるか、一抹の不安があった。「もし自分で納得の行くる演奏ができなければ、もう自分は終わりだ」と、内心はかなり思い詰めていた。そんなことにならないよう、十分な準備をしたつもりではあったが、当日の体調がどうなるかは、最後まで不安だった。
 幸い、スタミナ切れを感じることなく、私はブラームスを弾き終えた。練習の過程では、少し左手に違和感を覚えることもあったが、当日は痛みもなく、余計な力が入ることもなく、全曲を弾き通すことができた。指揮者の下野竜也氏や、ベテランのオーケストラ・プレイヤーの方々から称賛の言葉をいただいたのも、大きな励みになった。
 これが終わったら、2週間の休みをヨーロッパで過ごすつもりだったが、ちょっとしたきっかけから、3月初めにイタリアのボローニャとミラノで、1時間の小リサイタルを開くことになった。ヨーロッパで音を出すのは10年ぶりとあって、私は必要以上に緊張し、ボローニャの本番の2日前には、「もうこんな精神状態では弾けないよ」と思うほどの重圧を覚えた。「楽しく弾くだけでいいじゃないか」と自分に言い聞かせるが、どうしても身体が言うことを聞かず、勝手に緊張してしまうのだった。コンサートを実現させるために骨を折り、手伝ってくれている人たちを失望させたくない」という余計な思いが、過度の緊張を体内に作り出してしまったのだ。
 ところが、全日にボローニャに入って、待っていてくれた人たちの歓迎を受け、女性の指揮者として活躍しているニコレッタ・コンティさんのお宅で1時間美寧子と練習しているうち、驚くほど気持ちが楽になっていった。そして当日も、2日前までの自分が嘘のように、晴れ晴れした心でコンサートに臨めたのだった。
 ミラノに、作曲家のヴェルディが建てた音楽家のための老人ホーム、「カーサ・ヴェルディ」での演奏も、温かいお客様に受け入れていただけ、幸せな時間となった。ミラノ大学で、日本語や日本の文化を学んでいる学生を前にお話するという、めったにない貴重な経験もし、その後ウィーンで5日間の静かな休暇を過ごして帰国、素晴らしい旅行になった。
 あれから2週間、ようやく疲れも癒えて、週に2回ジムへ通うといった日課も再開した。今は、夏から秋にかけて演奏する室内楽曲の勉強と取り組んでいる。4月からは、桐朋学園で新しい学生の指導も始めることになった。
 確実に人生の終わりへ近づいている私だが、まだこの世界でできることはあるらしい。明後日開幕を迎える大好きなプロ野球を楽しみながら、「今の自分にできること」を着実にやっていく、そんな毎日を過ごそうと思っている。