8月が終わろうとしている。コロナ感染の勢いは留まるところを知らず、これまで「不通の生活」と考えていた日常は、なかなか戻ってきそうもない。
それでも私は、7月末に静岡交響楽団との協演を果たし、コロナ禍のしかも集中豪雨の中という悪条件ながら、とにかくブラームスの協奏曲を演奏した。その5日後には、山梨県の長坂での「八ヶ岳サマーコンサート」で室内楽プログラムを演奏。これは、回収したアンケートで多くの地元の方から大変喜ばれたことを知って、「やってよかった」と救われた気持ちだった。
9月末には、横浜を本拠に活動する「オンディーヌ室内管弦楽団」とベートーヴェンの協奏曲を弾き、続いて10月10日には自主公演の「アフタヌーンコンサート」でクロイツェルソナタなどを弾く。しばらくは、ベートーヴェン三昧の日を過ごすことになる。とにかく、自分が感染してこれらのスケジュールがこなせなくなっては大変なので、極力外出は控え、練習に励むことにしよう。
そんな私だが、どうも気持ちが晴れない。それは、2日前の安倍首相の突然の辞任表明である。私は安倍政治が許せなかったし、早く終わることを熱望していたので、彼が辞めるニュースを聴いたらもう少し心が晴れるはずだった。だが、そうはならず、逆に気重になっている。それは、彼が病気によって辞任を決断せざるを得なかったという事実のためだ。
私も大腸癌の手術をした経験があるので、大腸炎の苦しさはある程度理解できる。その病気が再発した首相は、本当に気の毒だと思う。ただ、今の辞任は、やはり彼が批判にさらされることから逃げたのだと考える。彼が逃げたというより、彼の体が逃げたと言ってもよいかもしれない。
モリカケ問題、桜を見る会、コロナ対応、国会を開けばまたまたそれらの問題で追求を受ける。それを思っただけで、病が再発してしまったのではなかろうか。あれほど太い神経の持ち主でも、病には勝てなかったということだろう。だからといって、彼の政治が許されてよいはずはなく、彼が残した「負の遺産」は十分に検証されなければならないはずだ。しかし、どうも世の中の雰囲気はそうなっていない。安倍氏への個人的な同情が、彼の誤った政治への追求を有耶無耶にしてしまいそうな雰囲気が感じられることが、私の心を暗くしているのだ。
彼は、演説会場に集って騒いだ反対派の人達を、「あんな人達」と愚弄した。そのように、反対勢力を侮辱するやり方が、政治家として許されるのだろうか。敵を作り、それを貶めることで自分が生きながらえようとする、それはある意味で人間の本性かもしれないが、それを表に出さず、調和を大切にしながら生きるのが本当の社会人であるはずだ。彼のようなやり方が問題無し、となれば日本国民の質はどんどん下がっていくに違いない。
私たちが子供の頃、学校の先生は、「嘘をついてはいけない」「自分のことだけを考えず、人にも思いやりを持たなければいけない」と教えた。だが、安倍さんはそうした道徳を踏みにじった。国会の議場で野次を飛ばしたり、自分を批判する政治家やメディアを徹底的に遠ざけるなど、非常に不道徳な行為を重ねた政治家である。
次の首相が決まる前に、そうした間違った手法はリセットされなければならない。次の首相が彼の真似をしたら、せっかく彼が辞めても何も変わらないことになってしまう。それでは、日本がどんどん暗く、希望のない国になる。
私が臨むのは、近隣の国々との融和、原発の停止、集団的自衛権の凍結である。そして何よりも、立派な人格を備えた人が首相になって欲しい。他国の人を貶めるヘイトスピーチのようなものがこの国から一掃されるよう、人々を導き、指導できる人が現れて欲しい。困っている人々に寄り添い、この国をもっと健全な形で発展させようと努力する人に出てきて欲しい。
政治家の問題だけではない。メディアも、彼らの傍若無人なやり方を正しく批判し、もっと融和的で道徳的な人たちが政治を行う環境を作るために、本気で努力スべきである。まずは、自分中心の生き方を辞め、どうしたら日本と世界がもっと平和になるか、どうしたら温暖化が食い止められるか、どうしたらもっと地球上の人たちが幸せになれるか、そうしたことを常に心に描きながら政治を行う人達を、選挙で選べるような環境を作るために、努力して欲しい。
私がやっている「音楽」が目指すのは「調和」である。いがみ合い、憎み合うこととは対照的な調和の精神を、日本人は取り戻さなければならない。気に入らないからと言って暴力に訴えたり、安易に誹謗中傷するのではなく、相手の立場も考える思いやりを持つ日本人を増やす努力、政治家もまた、そうした努力の戦闘に立たなければならないはずである。コロナ禍の今、日本も地球も、リセットする良いチャンスなのだから、経済ばかり考えて走るのではなく、これからの国造り、人造りを真剣に考える指導者の誕生を望みたい。
今、私は食事の度に、そんなことを悶々と考え続けている。私が考えたってどうにもならないだろうが、もう少し希望の持てる国へと変わってくれたら、私の心も明さを取り戻すことができるだろう。だが、今はどうも悲観的な気持ちが勝ってしまう毎日である。
首相辞任に思う
2020年8月30日