WBCに思う

2023年3月25日

WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)が日本の優勝で幕を閉じた。子供のころからラジオで野球を聴くのが大好きだった私は、ラジオだけではなく、有料のテレビチャンネルにも登録して、多くの試合を楽しんだ。それでも、もし日本が優勝しなければ、これほど良い気分にはなれなかったことだろう。
 今回の日本チームの活躍には感動したし、教えられることも多かった。まずは、ダルビッシュ投手が若い宇田川投手を気遣って、食事会での記念写真をツイートして話題になった時、「ああ、ダルビッシュとはそういう人だったのか」と心が動いた。そして、彼がライブ配信したPodCastを聴いて、ファンの人達のメッセージに一つ一つ答えてゆく誠実さにも心を打たれた。
 次は、アメリカからやってきたヌートバー選手を歓迎して、全員が同じTシャツを着て練習したという話題。さらに、大谷選手が名古屋での強化試合でいきなり2本のホームランをかっ飛ばして、ファンだけでなく選手たちにも強烈なインパクトを与えたことなど。とにかく、大会が始まる前から話題ずくめの「サムライジャパン」だった。
 始まってみれば、日本は他のチームを寄せ付けず、4試合連続で大差の勝利を収めてアメリカへ。だが、準決勝と決勝は、共に1点差の辛勝だった。中でもメキシコとの準決勝は、前半に3点をリードされ、最後まで追いつけなかった。私は外出して電車の中で聴いていたが、目的地に着く直前に村上の逆転さよなら安打が飛び出した。それまで不調に苦しんでいた村上選手の気持ちを思うと、胸が熱くなった。
 決勝戦では、7人の投手がアメリカの強力な打線をよく抑え込んだ。最後に投げた大谷投手は、「ベンチを見たらみんなが『大丈夫』という表情をしていたので、それを支えにトラウト選手に立ち向かうことができた」と語っていた。大谷でもそうなのだ。自分一人で戦っているわけではない。皆の心や思いを受け取ってそれを力として自分に活かす、これはとても大切なことだと改めて思った。
 投手とソリストには、共通点があると思っている。マウンドに経ってフォアボールを連発するピッチャーがいるが、あれはステージに立って、緊張して体が震えて思うように弾けない演奏家の姿に似ている。相手にではなく、自分に負けているのだ。
 実は私自身、リサイタルの冒頭で過度の緊張から右手のコントロールを失い、演奏を中断せざるを得なかった経験がある。大切なコンサートで、「ここで失敗したくない」「良い演奏を聴かせたい」という気持ちが強すぎて、自分を失ってしまった。今考えれば、本当に愚かな話である。
 たしかに、中には厳しい批評家がいて、演奏をこっぴどく批判される場合もある。そんな批評家に出会ったら、運が悪いと諦めるしかない。酷評を恐れて緊張しても、何も良いことはないのである。そんなことはわかっているし、共演者もお客様も、皆私の演奏を楽しもうとしているのだから、その気持を自分に取り込んで力に変えられれば、あのようなことにはならなかったはずだ。
 当時の私は、周りの人の心を自分に取り込むことができなかった。自分の力を信じられなかった、と行ってもよいかもしれない。今では、そのように過度な緊張感を抱くことはなくなったが、大谷投手はまだ20代の若さでありながら、そういうことがしっかりできているのだ。身体能力だけでなく、精神的な強さも人一倍持っている人なのだと通関した。
 おそらくダルビッシュ投手や大谷投手の影響があったのだろう。今回の日本の選手たちは、変なプレッシャーに怖じけることなく、集中力を持ってのびのびと実力を発揮していたと感じる。私自身は、今更遅いかもしれないが、もっと音楽を楽しみ、もっとお客様と一緒に楽しむという気持ちで、これからの演奏に臨みたいと思う。あと何回ステージに立てるかはわからないが、そこでの聴いてくださる方々との出会いを大切に、音楽の楽しさ、素晴らしさだけを伝えることに集中するステージを積み重ねて行きたい。そうした思いを呼び覚ましてくれた、今回のWBCであった。