2014年の終わりに

2015年1月1日

 外からは時々花火の音が聞こえ、それがだんだん激しさを増している。ここはベルリンのホテル。日本はもう新年を迎えているが、妻と私はまだ2014年の世界にいる。年が明けないうちにブログを更新しようと、キーボードをたたき始めた。
 毎年元日には、長老である母の住む尾山台へ、弟やその家族を招いて共に新年を祝うのが、私たちの恒例になっていた。しかし、その母が亡くなった今年は、思い切って22年ぶりにヨーロッパで年を超す決心をした。かなりの散在だったし、バッハシリーズのリサイタルの後は、休む間もなくたくさんのレッスンを行ったので、疲労の蓄積は相当なものだったが、今は出かけてきて本当に良かったと思っている。
 中継地のデュッセルドルフで、ベルリン行きの飛行機が3時間以上も遅れたため、東京の家を出てからベルリンのホテルに入るまで、24時間を上回る大旅行となり、生きた心地もないほど疲れ果てた。おまけに、留守中に宅配便を届けたというメールが入ったため、配達日を遅らせる手続きをしようとしたら、インターネットでは私たちの帰国日まで遅らせることができず、また配送センターの電話は海外からかけられない番号だったりして、やっとのことで手続きを終え、入浴して寝たのは朝の3時半だった。
 翌朝、美寧子は練習スタジオを借りていたため、8時には一緒に起きて朝食をとった。私は、とてもヴァイオリンを弾く元気などないと思っていたのだが、熟睡した後は以外に体が軽く、あまり疲れが残っていなかったので、試しに弾いてみたらけっこう気持ち良く手が動くので、2時間ぐらいベートーヴェンの協奏曲を練習した。ヨーロッパへ来たことで心が解放され、体の疲れまで取れてしまったのだろうか、と内心嬉しかった。
 バッハシリーズのために、私はかなり根を詰めて練習し、一応それなりの結果を出すことができた。だが、コンサートを終えての帰り道、入場者がこのシリーズを始めたころの3分の1以下にまで落ち込んでしまったことに、やはり暗い気持ちを消し去ることができなかった。私は、これからも練習と研究を重ね、バッハを始めとする音楽芸術の深さに迫って行きたいと願っているが、多くのお客さまにとっては、そういうことに興味がなくなってしまったのかもしれない。今も、私のバッハを楽しみにし、年末の多忙な中を一生懸命聴きに来てくださる方は少なくないが、その数は確実に減り続けている。この現実を受け止めると、「もう日本に俺の居場所はなくなってしまうのではないか」と暗澹たる気持ちになる。ベルリンに居ても、それを思うとふと心が曇る。
 かつては、ヨーロッパでも自分のキャリアを発展させようと、懸命に努力していた。だが、それはほぼ過去のこととなり、今はヨーロッパに居るときは実に気が楽である。しかし、日本ではそのように気楽になるわけには行かない。和波たかよしというヴァイオリニストが、次第に日本のクラシック愛好家から忘れられ、知らないうちに抹殺されてしまうなど、私には見るに忍びない。自分のプライドが許さない。
 生徒を教えているときは、そこに自分の居場所を意識する。数あるヴァイオリンの先生の中で私を選び、私に頼って遠くから通ってくる生徒たちと一緒に勉強しながら、その人の変化や進歩を感じた時の喜びは、何者にも変えがたい。ただ、視力を持たずに生徒を教えるための苦労は、自分が演奏すること以上に大きい。弾くことから離れて教えることに専心するようになったら、たぶん私は自分へのストレスで体を病んでしまうだろう。今の私は、弾く喜びによってあらゆるストレスを浄化しているのだ。
 だが、弾く喜びと言っても、部屋で練習だけしていても、それは喜びには繋がらない。出来上がった演奏を聴き、評価してくださる方々の存在があって、初めて厳しい練習にも喜びを見いだすことができるのだ。
 こんなことを言っていても、何かが変わるわけではない。どんな状況にあっても、私は希望を持って新年を迎えたい。そして、どうすれば私の演奏に興味を持ってくださるお客さまを増やすことができるか、どのように行動すれば良いのか、いろいろな方々のご意見を伺いながら、しっかり考えたい。
 4月5日には、「70歳記念コンサート」を予定している。多くの門下性が応援してくれ、このコンサートが実現の運びとなった。まずは、これを成功させることだ。そして、それを手掛かりにして更なる前進ができるよう、心身を鍛えながら過ごして行きたい。
 母が亡くなった時、「残りの人生はできる限り楽しく生きてやろう」と決めた。そして、私にとって「楽しく生きる」とはヴァイオリンを弾き続けることなのだ。私がもう少し聴き手を集められるようになれば、私のコンサートを計画してくださる主催者も増えるはずである。そのために、自分の芸術的信念を曲げない範囲で、なるべく主催者の意にも沿いながら、活動して行きたいと思っている。
 これが、2014年の最後に言いたかったことだ。年が改まったら、もう愚痴は言わない。音楽の神様と人間の善意、心の温かさを信じ、音楽の素晴らしさをお一人でも多くの方に伝えられるよう、しっかり前を向いて毎日を過ごして行こうと思う。