北京の小鳥売り

2013年11月21日

 島倉千代子さんが亡くなられた。中学生から高校生になる頃、私は彼女の可愛らしい歌声に魅了され、大ファンだった。親友の男子と二人で、何度も何度も同じ曲を聴きながら「いいな、いいな」と語り合ったこともあった。
 昨夜遅く、ふとある歌を思い出した。「北京の小鳥売り」という題名で、私が中学2年生の時に発売されたSPレコードである。我が家にはもうSPは残っていないが、確かあの歌はレコードを買ったのではなかったか。
 ユーチューブで検索したら、オリジナル・レコーディングがちゃんとアップされていた。それは紛れもなく、私が夢中になったあの可愛い歌声だった。
 いつの頃だったかよく覚えていないが、一人であの曲のレコードをかけ、「自分が年を取った時もまだこの曲が好きかな。その頃にはどんな歌が流行っているのかな」などと、漠然と考えていたことがあった。ちょうど、「北京の小鳥売り」が流行していた時期は、私が学生音楽コンクールの全国第1位になった時期と重なっている。あれから55年である。「よくここまで元気で生きてこられたな」と思う。そして、島倉さんのあの可愛い声を今も楽しむことができる自分を幸せだと思った。
 インターネットで歌詞を調べたが、見つけることができなかった。よく覚えてはいないが、賑やかな町並みに多くの人々が行き交う中、鳥かごを下げた少女が「小鳥はいかがですか」とふれて歩く様子がイメージできる曲だった。「北京ってどんな町なんだろう」と思ったものだ。
 当時、日本と中国の間には国交がなく、実際に北京を知る人は少なかったはずだ。私はよく「北京放送」の日本語番組を聴いて、何もわからないまま親しみを感じていたのだが、残念ながらまだ北京を訪れたことはない。それに、PM2.5に汚染された今の北京は、小鳥売りどころではないのではなかろうか。確か、歌詞の中には「夢の町」という1節があった。島倉さんも、所々グリッサンドを入れながらエキゾチックな歌い方をしていた。13年前まで日本が支配下に置いていた北京に、当時の人はどんな印象を抱いていたのだろうか。
 日中関係が今のままだったら、おそらく私は北京を訪れることはないだろう。島倉さんの歌声が伝えてくれる「夢の町」のままの方が、私には幸せかもしれない。
 島倉さんは亡くなられたが、その歌声は私の中でずっと生き続ける。時にはかすかに、時には胸一杯に、その歌声は響き続けるのだ。お会いしたことのない彼女だが、謹んでご冥福をお祈りしたい。