2年ぶりのバッハシリーズは幸い成功のうちに終わり、それから10日が過ぎた。3日間ほどは疲れがひどく、このまま風邪でも引いて寝込むのかと思ったが、どうやらそういうこともなく、疲れは癒えて元気に年が越せそうだ。
ただ、ここへ来て心配なのが母の様子である。今年は転んで足を骨折、3ヶ月近くの入院という試練を経験した母だが、自宅に帰ってからも熱心にリハビリを続け、元気そうに見えた。しかし、少しずつ心臓の具合が悪くなってきた。今月に入って、医師からは自宅での安静を言い渡されたが、21日のコンサートについてはOKが出たので、聴きに来てくれた。6月の紀尾井ホールの直前に転んでしまって、デビュー50周年記念の演奏を聴いてもらえなかっただけに、今回出かけてくれたのは私にとって大変嬉しい出来事だった。
その疲れが出たのだろうか、先週から食が細くなり、時々胸の痛みを訴えるようになった。お医者さんも年末年始は休むので、とにかく三箇日が明けるまで頑張って、と励ましているのだが、どうなのだろう。
母は、間もなく95才の誕生日を迎える。今月は、2冊目となる歌集が完成し、年始にはお知り合いの方々にお送りするのだと張り切っている。肉体的な衰えを少しでも遅らせることができれば、そして息苦しさや痛みが少しでも薄らいでくれればと、私はひたすら願っている。
人生には、必ず終わりが来る。私も、何人もの「終わり」を見て来た。最初に経験した身内の死は、生まれて8ヶ月後、2才の姉が病気で亡くなった時だが、これは覚えていない。次は22才の時、10才年上の従兄弟が癌で亡くなった。さらに10年ほど後には祖父、父、祖母が相次いで逝った。父はまだ64才だったから、私たちの悲しみも一入だった。争議の後で、母と二人で挨拶回りをした時、行く先々で涙に暮れる母を、本当に気の毒だと思った。もちろん、私自身も寂しくてならなかったし、父の無念を思うと、胸が張り裂けそうになることもあった。
だが、そうした記憶が少しずつ薄れていった今、私の最も近い身内である母が、最後の時を前にして苦しそうにしている。もっと楽に、突然すっと向こう側に行かせてやってくれればよいのにと思うが、どうも神様はこちらの都合どおりには運んでくれないようだ。「もっと苦しくなるのは嫌だなあ」と母はよく言っている。私も、そうならないことを祈り続けている。「あまり苦しくないな。食欲も出てきたな」と言ってくれる日は、もう来ないのだろうか。
母のこととは関わりなく、地球は回り続け、明日からは新年である。積み残した問題は少なくないが、ひとまずここで区切りを付け、新しい気持ちで種々の問題に対処して行きたい。そうしたメリハリを付けるために、365日経てば年が改まる、というルールがあるのだろう。それに則って、明日は家族でお祝いをし、新しい気持ちでこれからの毎日を過ごして行きたいと思っている。
今年の終わりに
2013年12月31日