あの大地震が起こって以来、私の周りにも、私自身にも、さまざまな変化が起こっているように感じる。もちろん、被災された方々のご苦労を思えば、それは微々たるものかもしれないが、徐々に私の心を締め付け、黒雲に覆われるような不安と戸惑い、そしていらだちを押さえることができない。
報道で知る被災地の有様は、まるで現実とは離れた所で起こっていることのように思われるが、実はそうではないのだ。福島、仙台、盛岡、いずれも私がしばしば訪れ、演奏していた土地である。岩手県内の小中学校を回って演奏したこともあり、その頃聴いてくれた生徒や先生方の中には、もしかしたら津波で飲み込まれてしまった人がいるかもしれない。そう思っただけで、いても立ってもいられなくなる。私はいつも、生きることの喜び、この星に住むことの幸せを思って暮らしてきたが、それは得体の知れない恐ろしさと背中合わせの幸せであったことを痛感する。
私は、停車中の電車の中で今回の地震に遭った。どうやって家まで帰るか、恐怖が収まった後には、その心配が胸に広がった。幸い美寧子が一緒だったため冷静に行動でき、家の近くまで来るバスに乗れたため、なんとか4時間で帰り着いたが、満員のバスの中は異常な緊張感でいっぱいだった。あの時のことを思い出すと、今も体が震えてきそうだ。
でも、私たちは前を向いて進んでいかなければならない。たとえ地震や津波で壊されることがあったとしても、それでも未来を信じて自分を積み上げていかなければならない。
今夜、私たちは清里へ向かう。5年間に10回のリサイタルシリーズを重ねてきて、明日はその9回目、オール・モーツァルトのプログラムを演奏するはずだったが、これは計画停電などを考慮して中止となった。今週は、ずっとその練習をする予定だったが、美寧子と一緒の練習は、月曜日に一度やっただけで宙に浮いてしまった。
しかし、せっかくホールも空いているのだから、集まっていただける方々に音楽を届けたい、との思いは止めることができず、1時間の「復興を祈る音楽の午後」を開くことにした。何人の方が集まって下さるかはわからないが、とにかく私たちは演奏する。それが被災地へ届くことはないが、さまざまな願いや祈りを込めて、とにかく音楽を奏でる。そして、もし聴いて下さる方があれば、その方々と「今ここにあること」の意味を共有し、復興への祈りと未来を信じる希望の心を分かち合う時間にしたいと思っている。