クラブハウスのその後

2021年2月28日

2月が終わろうとしている。春になってしまったかと思う暖かさが続いたかと思うと、真冬に戻ったような寒い日もあり、気温の変動が激しい1ヶ月だった。
 22日に横浜でのレクチャーコンサートが無事に終了し、私はまだ少し疲れた状態が続いているが、次に向けて準備もしている。4月18日のコンサートのプログラム原稿を整える仕事、夏の「八ヶ岳サマーコース&コンサート」の内容を詰める作業、そして12月のバッハシリーズで演奏する予定のチェンバロとのソナタの譜読みなど、やらなければならないことは際限がない。何もかも放り出してゆっくり休みたいと思うこともあるが、コロナが収束しないので出かけることもはばかられるし、自分を心地よい環境に置くのが難しいと感じるこのごろである。
 実は、最近なんとなく疲れ気味なのは、「クラブハウス」が原因ではないかと思っている。この新しい音声SNSは、依存症になる危険があると、1週間ほど前に気が付いた。毎日のように部屋を開き、集まってくれる数人と雑談をしていたのだが、これがけっこう重いことがわかってきた。話題がどこへ飛ぶかわからないし、それに応じて頭を切り替えないといけない。その時は楽しくやっていても、終わった後に記録が残らないから、良い話を聞いたとしても忘れてしまう。そのことが、ストレスになるのだ。
 私は、自分がしてきたことを毎日点字のメモや日記に残し、それを後から読み返すのが好きだ。あの日、あの時に何を考え、何を食べ、どんなことをしていたか、数年経ってからその日記を読み返して、「ああ、あのころの体重は○○キロだったのか」と思い出したり、「とても疲れている」というのを読むと、「今と同じだな」と変に安心したりする。昔の自分がどうだったか、今日は何をしたのか、そういうことをできるだけ覚えていて記録に残す、それが趣味なのである。
 ところが、クラブハウスは記録が残らない。録音も禁止しているし、自分がいつ部屋を開き、そこに誰が来てくれたか、といった記録を参照することもできない。これが、疲れの原因ではないかと、私は思っている。
 それでも、ラジオやテレビのように、予め準備された番組を聴くのとは違い、クラブハウスでいろいろな部屋を訪れると、行く先々で人間の生の声、生の言葉を聴くことができて、これは実に新鮮である。しかも、まだ始めて3週間なのに、久しぶりの人と何人も再開したし、とても気持ちの通じる方と有意義なお話をする機会もあった。だから、クラブハウスは辞めることができない。したがって、依存症なのである。
 今、これを辞めようとすると、私は禁断症状に悩まされることになるだろう。それよりも、クラブハウスに使う時間を徐々に減らしながら、本当に有益な情報が得られるように、上手な使い方を研究するのが良いと思っている。生活には、遊びが絶対に必要だ。どのように遊ぶかは、一人一人違ってよいし、遊んだことで幸せになれる方法を見つけるべきだ。きっと私は、まだクラブハウスを上手に使いこなしていないのだろう。
 明日からは3月。新しい気持ちで、この新しいSNSとの付き合いを考えていこうと思う。