明日はアフタヌーンコンサート

2012年11月17日

「とにかくここまで来たな」という心境である。この秋は、心臓の治療を受けたり、弟子たちのコンクールの結果に喜んだり戸惑ったり、いろいろなことがあった。楽しいことばかりではなかった。でも、とにかく健康を取り戻して、また自主公演のステージに立つ前夜を迎えている。

最初に岩崎洸さんとシューベルトのトリオのリハーサルをしたのは、6月28日であった。互いのアイディアを持ち寄って大まかなテンポなどを決めたり、ボーイングを考えたりで、2日間の練習をした。それから夏を挟んで、9月14日に再開。21日の最初の本番までは、かなり厳しい日々だった。45分を要する大曲だし、個々のパートが難しい上に、全体をまとめてお客様に楽しんでいただけるものに仕上げるのは簡単なことではない。

しかし、この清里でのコンサートで一応の答えを出し、翌週の29日には名古屋でも演奏。その後また間隔を空けて、11月8日からリハーサルを再開して、11日に小海町でのコンサート、そしていよいよ明日は「アフタヌーンコンサート」である。ここまで準備したのだから、今の我々のできることは、ほとんどやったと言って良いだろう。後は、いつもの「アフタヌーンコンサート」の雰囲気で、お客様と共に楽しい時間が過ごせれば、今回に関しては何も思い残すことはない。

岩崎さんとの練習では、実にいろいろなことがあった。そして、彼と私の間、さらに美寧子も含めての3人の心の距離が、これまでの2回の共演以上に狭まったことを強く感じている。彼は、私の音楽や弾き方について、他の誰も言わないような率直な意見を述べてくれる。「弓の使い方がもっと自由であっても良いはずなのに、そうならないのはやはり目が見えなくて不安だからではないか」などと、さすがの私もむっと来るようなことさえ言ってのける人だ。しかし、度重なるリハーサルを終えた今、そうした友達が存在しているという事実に、深い感謝の念を覚えるのである。

彼は、目をつぶって難しいパッセージやフレーズを弾いてみて、私の問題を共有しようと試みてくれていたようだ。もちろん、見えない状態で60年もヴァイオリンを弾き続けてきた私の感覚を、急に試してみて共有できるということはないわけだが、それでもいろいろやってみて、私に何かアドバイスしようと考えてくれるのは、良い友達でなければできないことだ。私は、自分が弾いている姿も、人が弾いているところも見た経験はない。すべて音に頼って勉強してきた。もちろん、以前は先生や母が見ていてくれたし、今も美寧子にいろいろと教えてもらうことはある。そして、同じ弦楽器奏者である岩崎さんの指摘は、また新たな角度から私にさまざまな示唆を与えてくれるものとなった。

彼が私の前で弾いていて、いろいろなことを言ってくれると、まるで私は、自分の弾いている姿を鏡に映して見ているような感覚に打たれるのだった。同じメロディーをユニゾンで弾いている時は、彼が弓のどの部分を使って弾いているかを尋ねて同じようにやってみたり、逆に私のやり方を一緒に試してもらったり、音作りにも時間をかけた。ここまでつっこんだ練習ができたのも、岩崎さんが実に研究熱心で音楽的な理想の高い演奏家であり、しかも私と何でも言い合える間柄だったからに他ならない。なんと素晴らしい経験であろうか。

練習のプロセスは終わった。また来年の秋には一緒に室内楽をやる予定だが、とりあえずは明日の本番で一段落である。練習でのさまざまなプロセスを思い出しながら、思い切り曲にのめり込んで演奏したいものだ。そして、私たち3人が感じている「音楽の喜び」を通して、お客様との幸せな出会いの午後が訪れることを、心から願っている。