音と歩いた道6「八ヶ岳のレッスン 」(2005/3/17)

今から二十年前、一九八五年に開いた第一回の「八ケ岳サマーコース」は五泊六日、受講者は十二名だった。私は全員を三時間ずつ教え、期間内に二回のコンサートも行ったため、超多忙な日々となった。

一日に七時間も教えること自体初めての経験だったし、その生徒にいま一番必要なアドバイスはなにかを、一時間のレッスン中に素早く考えて的確に伝えるのもたやすいことではなかった。「さっきのAさんのレッスンでは細かい部分にこだわりすぎたな」とか、「Bさんにはあそこをもっと丁寧に教えるべきだった」など、レッスンの後であれこれ考え込むことも多かった。

だが、コースが進むにつれて、受講者たちが少しずつ私に対して心を開き、そのアドバイスを積極的に受け入れて演奏を変えていこうと試み始めるのを感じた時の喜びは、例えようもなく大きなものだった。その僅(わず)かな変化を、私は彼らの音から、また私の注意に相づちを打つ声音から、そして周りで聴いている人たちの空気などから感じ取った。

自宅でのマンツーマンのレッスンとは違い、十数人が聴いている部屋で、初めて顔を合わせた受講者を教えるとき、やはりその人の弾いている姿や表情が見えないのはハンディだと思った。技術的なアドバイスが必要だと感じると、私は生徒の近くに行って肩や肘(ひじ)にそっと触れ、不自然な形になっていないか、力が入りすぎていないかなどをチェックし、私の弾き方を見せて自分の姿と比較してもらうようにつとめた。

また、いわゆる「アイコンタクト」がないことも、生徒たちに余計な緊張感を与える場合があることを知った。「目では見ていなくてもちゃんとあなたのことを考え、演奏を聴いていますよ」と、いわば「心の視線」を相手に感じてもらう必要がある。私は、言葉や表情でそれを伝える努力をするとともに、「相手には私が見えているのだから、ちゃんと目で受け止めてくれるはず」と信頼して臨んだ。詰まるところ、レッスンがうまく行くかどうかは、心のコミュニケーションにかかっているのだ。

この年は、受講者の半数近い五人が中学生で、その中に対照的な特徴を持つ二人がいた。一人は、現在ベルリンに住み、昨年度の新日鉄フレッシュアーティスト賞を受賞した植村理葉(りよ)さん。彼女は技術の素晴らしさに加えて音楽の運びも自然で、私が「もう少し合理的な指使いがあるかもしれない」と運指法を変更しても、難なくそれに応じる柔軟性を身に付けていた。

もう一人は、フランスに留学後、現在はソリストとして、また室内楽でも活躍している高木和弘君。彼は、巨匠風のスタイルにあこがれてひたすら練習を重ねてきた天才肌の少年だった。「すごい才能だ」と感嘆しつつ、私はそれぞれの作品に即した奏法や、曲の内面性をとらえることの大切さを伝えなければならなかった。一方で、基礎訓練が不十分なのに難しい曲を弾いている人もいた。そのような場合は、右手の動かし方や左指の訓練法など、基礎練習の大切さを教えたが、結局音楽の道には進まなかったようである。

受講者の中には、すでにプロのオーケストラで働いている人も含まれていた。その一人、西原生由理(いゆり)さんは、後に私のアシスタントとして数年間サマーコースを手伝ってくれたし、熊谷洋子さんは仙台フィルの団員として活躍を続けている。そして二人は、今も時々私のもとへレッスンに通って来る。

サマーコースが回を重ねるにつれ、いつか「八ケ岳ファミリー」という言葉が生まれた。留学した受講者がヨーロッパで旧交を温め合った、といった話も聞こえてきたし、私の海外での演奏会でファミリーのメンバーと再会を果たす機会も増えた。大自然の広がる「八ケ岳南麓(ろく)」という恵まれた環境のもとで懸命に音楽と取り組み、学び合うことから生まれたコミュニケーション、それは私にも、集まった受講者たちにも掛け替えのない財産となって心の中に残っているのだ。

和波たかよし