バッハシリーズを前に

2014年12月18日

 今日は、母が亡くなってからちょうど10ヶ月目。いつもとは違う、どこか寂しい年末を過ごしている。私が特にそれを意識するのは、朝食の時だ。「隣は起きているかな。体の具合はどうかな。早く様子を見に行った方がよいかな」などと、いろいろ考えながら朝食を取るのが常だったが、今はその必要がないのだ。心配が減ったことと、深い寂しさと、その両方が私の心の中で交錯する。
 1年前は、すでに母の体調が不安定だったが、それでも21日の「バッハシリーズ」に来てくれた。とうとう、あれから1年が過ぎたのだ。あの頃のことが、しきりに思い出される。
 母は、「もう私のことは心配しなくていいよ」と、あちらの世界へ旅立って行ったような気がする。「与えられたこれからの自分の時間を大切にしよう」と、葬儀の日に強く思ったのを覚えている。だが、考えてみると、私に残された時間もそう長くはない。後何年ヴァイオリンを弾き続けて行けるか、5年なのか、10年なのか、それとももっと長く弾き続けることを許されるのか、それは全くわからないが、いずれにしても、これまでの50年の演奏活動に比べれば、はるかに短い時間しか残っていないことに驚かされる。
 一方で、70才を目前にして、今もどうやら元気で弾き続けていられることに、じんわりとした感謝の念を覚える。今年の秋は、久しぶりに多くのコンサートに出演し、「弾くことはこんなにも楽しく、素晴らしいことだったのだ」と再確認した。忙しかったし、疲れもしたが、でもたまらなく楽しかった。そして、その今年を締めくくるステージ、クリスマス・バッハシリーズが目の前だ。
 本来、今年は去年に続いて、チェンバロの武久源造さんと共演する予定だったが、音楽性の違いを理由に、彼が共演を辞退したいと行ってきた。私には納得が行かなかったし、「2年続けよう」と約束したことを途中で放り出す彼の態度には、少なからぬ怒りも覚えたが、熟慮の末、彼を引き留めることは辞めて、新しく無伴奏の企画を立てることにした。無伴奏という、孤独の世界の中で、自分のバッハをしっかり見つめ直し、聴いてくださる皆さんの心に届くバッハを作り上げたいと、強く思っている。
 ステージには一人で立つけれども、会場に来てくださるお客様が共演者なのだと、私は信じている。音を通じて心でふれあい、心で共鳴し合えば、それはまさに「共演」である。チケットの売り上げは、残念ながら芳しいとは言えないが、それでも私のバッハを楽しみに、忙しい中を都合し、またはるばる遠方から来てくださる方も多い。その方々に、「聴いて良かった」と感じていただける演奏を届けること、それがプロとしての私の仕事であり、そこに私の存在価値があるのだ。
 今回は、バッハ以外にヒンデミットとイザイの作品も演奏する。バッハとこれらの曲をどう弾きわけるか、そこも是非楽しんでいただきたいと思っている。当日まで向かう道のりはたやすくないが、今の私は、お客様との心の共演ができることを目指して産みの苦しみを味わっている。ここを通り抜けて、当日はすっきりした笑顔でステージに立てるよう、残りの日々をしっかり過ごそうと自分に言い聞かせている。