ベートーヴェン連続演奏を控えて

2011年5月11日

2日間にベートーヴェンのピアノとヴァイオリンのためのソナタ、全10曲を弾くコンサートが迫ってきた。こんな無謀なことをやった演奏家がこれまで日本にいたかどうか、私にはわからないが、かなり無茶な企画であることは間違いない。それでもやりたかったのには、いくつか理由がある。

6年間教えていた愛知県立芸大を、今年の3月に任期満了で退職した。その年に、名古屋で何か記念になるものを「コンサート」の形で残したいと考えた。響きの素晴らしい宗次ホールで、2008年からイザイ、バッハ、ブラームスと作曲家を絞ったコンサートをやらせていただいてきたので、「ベートーヴェンはどうだろう、それも短期間にソナタ全曲が聴けるという企画は」と提案し、受け入れていただいたのだ。

ソナタ10曲でコンサートを行う場合、時間的には3回のコンサートがちょうど良い。ただ、曲の組み合わせ、配列が難しくなる。私たちのCDに入っているとおり、1番から3番が一つのグループ、4番と5番が姉妹のような関係、6番から8番が一つのグループ、9番と10番がそれぞれ独立した作品、と作曲の経緯に従って分類できるのだが、これを3回でやろうとすると、op.12の3曲に4番を足したのが1回目、op.24の「スプリングソナタ」とop.30からの2曲が2回目、残りが3回目となるのだが、どうも具合がよくない。

10曲のソナタは長調が8曲、単調が2曲だが、初日も二日目も短調の曲で終わることになり、どうにもバランスが悪い。それで、2003年に東京で全曲を弾いた時は、順番に弾くことを諦めて1日目に1番、2番、3番、5番、2日目に4番、8番、9番、最終日に6番、7番、10番と並べたのである。この時は、木曜日毎に3週連続で演奏し、どの回も大変盛り上がった。

しかし、3週連続で名古屋へ通うのは楽なことではないし、もっと短期間に、4回の短いコンサートを開いて、全曲を作品順に聴いていただく方が良いのではないか、と考えた。東京で全曲を演奏し、CDも作った曲なので、パートナーの土屋美寧子にも異存はなかった。というようなわけで、私たちの音楽人生における「前代未聞のチャレンジの時」がいよいよやってくるのである。

ベートーヴェンの初期作品はモーツァルトに似ているとよく言われる。確かに、形式的にはモーツァルトのスタイルを踏襲している面が見受けられるが、音楽の肌触りはかなり違っていると思う。柔らかくなめらかで、花の香りのような優雅さを湛えているのがモーツァルトなのに対し、ベートーヴェンの音楽は、心がストレートに伝わってくる感じがする。第1番冒頭の力強いニ長調の和音、このたった一つの音にも、彼の強い意志の力が私には伝わってくる。整った形式の中に、はち切れんばかりの若いエネルギーが溢れているのが「第1番」だ。続く第2番は、1番に比べると「軽快で踊るような楽しい曲」という印象を受ける。だが、短調で奏される第2楽章には何か孤独の陰のようなものが見えている。そして「愛らしく」と指示された第3楽章のチャーミングな美しさには、ほっとするような安らぎと共に深く胸を打つものがあると思う。

ほぼ同じ時期に書かれた「第3番」で、ベートーヴェンはぐっとパワーアップする。「英雄交響曲」などと同じ男性的な変ホ長調で作られたこの曲では、ピアノが絢爛たる技巧を披露し、ヴァイオリンも応戦する。また第2楽章では、非常に息の長い旋律がゆったりと歌われ、ヴァイオリンはロングトーンの魅力を発揮する。ここには、後期ベートーヴェンの高い精神性の片鱗を聴き取ることができる。

続く「第4番」と「第5番」も対照的な性格を持っている。何かしら不安定な心の波を感じさせる第4番に対し、「スプリングソナタ」と呼ばれる第5番は、うららかで平和な気分に満ちており、この光り輝くような作品で1日目のコンサートが終わる。

ロシア皇帝、アレクザンダーに捧げられた「第6番」から「第8番」までの3曲も、それぞれ味わい深い名品揃いだ。明るい叙情を湛えた第6番、冬の厳しさを思わせる、悲劇的で情熱的な第7番、そして飛び跳ねるような躍動感と優雅な美しさを持つ第8番。この3曲を並べて演奏するのは私にとって初めてのことだ。それぞれの曲の特徴をきちんと描き出すことができれば、お客様には素晴らしい午後になること、請け合いなのだが、そのために最後まで丁寧な練習を重ねようと思っている。

最後に残ったのは大規模な「クロイツェルソナタ」と、その9年後に書かれた「第10番」である。それまでの「デュオ」の概念を打ち破るクロイツェルソナタについて述べ始めたら大変なことになるが、とにかくピアノにとってもヴァイオリンにとっても、コンチェルトのソリストを務めるようなエネルギーと集中力が求められる大作である。一方の第10番は、静かなたたずまいの中に清らかな美しさと祈りのような心が溢れ、弾く度に精神が清められ、高められる感動を覚える。この曲で、ベートーヴェンはピアノとヴァイオリンの完全な融合を成し遂げたと、私は考えている。

さて、15日の夜、すべての曲を終わった時、美寧子と私はどんな気分になっているだろうか。お客様とは、どんなコミュニケーションが生まれるのだろうか。1966年からしばしば演奏し、数多くの思い出を持つ名古屋で、また一つ新しい思い出ができることを楽しみに、当日までの道程を過ごそうと思っている。多くの方々がこの「全曲演奏」に足をお運びくださって、ベートーヴェンの足跡をたどる旅を私たちと一緒に体験してくださることを、心から願っている。