レッスンへの思い

2020年10月31日

 10月も今日で終わろうとしている。幸い私は、大きく体調を崩すこともなく平穏に暮らしている。ただ、気持ちのアップダウンが大きいことには少々戸惑うこともある。おそらくこれは、コロナの影響ではないかと思っているのだが、もしかしたら定年でレッスンが減ってしまった寂しさを、未だに埋められないでいるのかもしれない。演奏会は2ヶ月後だから、その練習も今からしっかりやっておかなければいけないし、他にもいろいろなデスクワークがあって決して暇なわけではないのだが、やはり私は生徒と一緒に勉強している時間がとても楽しい。最近、それを痛感している。
 レッスンのある日は、どことなく緊張するし、「ちゃんと教えなければ」と覚悟して臨むのだが、いざ始まってしまうと、たとえひどく疲れている時でも、それを忘れて音楽に没頭し、けっこう楽しく教えているのだ。自分で弾くのと同じぐらい、私は他人の演奏を聴くのが好きだ。だから、間近で自分のためだけに弾いて聴かせてくれる生徒の演奏を聴くのは、あらゆる意味で楽しいのである。
 藝大と桐朋の両方で教えていたころは、年間500時間近いレッスンをこなしていた。多忙な先生方に比べれば、この数字はとても少ないが、一つ一つのレッスンの準備に手間のかかる私としては、まさに精一杯の日々だった。不本意ながら、レッスン中にふと眠りの世界へ誘い込まれてしまうこともあった。今、そんな昔のレッスンの断片を思い出しては、複雑な心境になっている私だ。
 60才ぐらいまでの私は、ずいぶん厳しいレッスンをしていたようだ。自分が教えを受けた恩師たちに見習って、かなり毒舌も吐いたし、今ならパワハラと糾弾されそうな言動も行っていたと思う。そんな過去について、いささか後悔の気持ちも抱いているが、今でも明らかに努力していないと感じる生徒には、かなりひどいことを口走ってしまう癖がある。
 そんなレッスンが嫌になって辞めてしまった人もいたが、辞めなかった生徒たちにも辛い思いをさせていたかも知れない。ただ、私の気持ちをがっちり受け止め、向かってきた生徒もいた。少しずつハードルを上げるとどんどん付いてくる生徒、中には私以上に勉強していてこちらをギャフンと言わせる生徒もいた。全てが懐かしい思い出である。
 大学に属していた時は、やはり自分の生徒に良い成績を取って欲しいとのエゴが働いて、必要以上のプレッシャーをかけてしまったこともあったと思う。だが、それによって頑張ることのできた生徒がいたのも、紛れもない事実だ。辛い思いをさせてしまった生徒、喜んでくれた生徒、いろいろな人がいた。今ならもっと良いレッスンができるのではないかと思うが、過去に戻ることはできない。もう学校でのレッスンは終わってしまったのだ。
 私の視力がないことで、生徒を不利な立場に置いてはならない、そのことはいつも私の心を占めるプレッシャーだった。自分なりには、そのことでかなりの努力をしたつもりだ。そのお陰で、私は視覚障害者として、初めてメジャーな音楽大学でヴァイオリン担当の教員を務めるという仕事を達成できた。それも5年や10年ではなく、桐朋では30年間教えさせてもらった。今は、心からの感謝しかない。本当に、得難い経験をさせてもらったのだった。
 数は少なくなったが、今もプライベートの生徒がレッスンにやってくる。非常事態宣言が出た4月と5月は、全くレッスンのできない状態が続いてかなり落ち込んだが、今は週に数時間の対面レッスンを行っている。そして、私はそれらの一つ一つを慈しみながら、レッスンに臨んでいる。
 今日、コンサートに出かけて昔の生徒に会った。桐朋で教え始める前にレッスンに来ていた人だ。「ああ、彼女を教えていたころも、こんな気分だったな」と懐かしさがこみ上げた。とても優秀だった彼女がレッスンに来る日は、朝から少しソワソワしていた。楽しみが半分、ちゃんと教えなければというプレッシャーが半分だった。今も私は、そんな気持ちで生徒たちと相対している。そしてこれからも、自分にできる範囲で、縁のある人達に私が描く音楽の姿を、しっかり伝え続けて行きたいと願っている。