八ヶ岳の山荘で思うこと

2014年6月11日

 5月には一度もこの「日記」を書かないうちに、季節はどんどん進み、6月もすでに10日が過去へ流れ去った。この間、私は極めて平凡な毎日を送っている、というわけでもないのだが、昔のようにしょっちゅう日記ページを更新して、あれこれと思ったことを書き連ねる気持ちにならない。何か書いてみたいことを思いついても、「こんなこと書いたって仕方ないよな」と打ち消す気持ちが勝って、書くのを辞めてしまうのだ。以前はよく政治に腹を立てたり、大好きな野球の話題で一人盛り上がってみたり、いろいろ楽しんでいたのだが、どうもそんな気持ちになれなくなってしまった。この消極性は、ちょっと困った傾向だと思っている。
 5月は、妻の土屋美寧子のソロ・リサイタルという大仕事があった。私はそれほど働くわけではないが、やはり2年に一度のリサイタルを成功させたいという気持ちは強いので、当日まではどこかに緊張感を抱いていた。そして終わると、自分が弾いたわけでもないのに、安堵と共に何とも言えない疲れを感じたのだった。美寧子は、準備期間の最中に私の母が亡くなるという大きな出来事を経験したが、それにも負けずによく頑張って、現在の自分の境地を自然な姿で表現していた。
 私は、夏から秋にかけて演奏する曲の譜読みをしたり、久しぶりに弾こうと計画している技巧的な作品について奏法を研究したり、比較的ゆったり暮らしていた。ふとした時に、母がいない寂しさが胸を突き上げてくることもあるが、それはそれとして、体調はまずまずである。一昨日からは八ヶ岳の山荘に来て、家の清掃や各種の打ち合わせを行い、これも順調に運んで、今日は東京へ戻る。麓の長坂や小淵沢は蒸し暑かったが、私たちの山荘のある泉郷はまだ気温が低く、家の中では冬の服装をしていた。寒いのが苦手な私は、よほどストーブを入れようかと思ったが、今回は我慢した。
 周りの家々にはまだ住人が少なく、静まりかえって実に静かだ。静かな環境は嬉しいが、屋内の気温が20度以下だと、私は気持ちが滅入ってくる。「寒かったらたくさん着込めばいいんだから」という人もいるが、私は少し暑いぐらいの中で軽装で暮らすのが好きだ。今回は、天候に恵まれなかったことも残念であった。
 さて、この山荘にはテレビがないのだが、昨日の夕方ラジオのニュースを聴いていて、「集団的自衛権」の問題がかなり切迫していることを知った。私はもちろん、憲法9条を守る立場だから、解釈の変更も認めることに反対だ。今、ここに憲法の条文を持っていないが、インターネットから引用してみよう。
 憲法9条は、以下のようなものだ。

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 これほどはっきりと「紛争を解決する手段としての武力を使わない」と明言しているのに、その解釈を変えて、武力を使っても良いことにしようというのだから、全くめちゃくちゃな話である。安倍さんがごり押しをするお陰で、日本は周りの国から疎んじられ、世界の中でも孤立しかかっている。こんなことで良いはずはないのに、反対の世論はなかなか大きくならない。日本人全体に、あの戦争に対する反省の気持ちが足りないということなのだろうが、私がこうして反対しても、安倍さんはごり押しを辞めないだろうし、日本は悪い方向へ引きずられていってしまうのだろう。
 私には、音楽に奉仕することで平和への気持ちを表すことしかできない。それがどれほど無力なものであるかを痛感していても、他の手段を持っていないのである。それでも、平和を訴える音楽のメッセージだけは、私の命が続く限り出し続けて行かなければならないと思っている。不安だらけの日本だが、この国が正しい道に戻り、周りの国々と仲良くしながら発展を続けて行くために、どんなに小さいことでも役に立つことはやりたいと思っている。