大阪でのエピソード

2014年4月30日

 4月は、大阪のザ・シンフォニーホールでブルッフの協奏曲を弾く仕事があり、楽しい旅行をした。美寧子がリサイタルを控えているのと、主催者である日本ライトハウスのスタッフの方々がよく面倒を見てくださるので、1週間前の練習も、そして本番の前日からの旅行も、すべて一人で行った。
 美寧子は、「一人で仕事に行くのは誰でもやっていること、当然でしょ」という顔をするのだが、それほど生易しいことではないのだ。純粋に遊びの旅行なら、一人旅にもそれなりの楽しさがあるが、演奏の時は、できるだけ体や神経を休め、音楽に集中したいところである。だが、一人だと常に周りの音に耳を澄ませ、自分が危険な目に遭わないように防御を固めていなければならない。夜のホテルの部屋でも、うっかり物の置き場所がわからなくなったりしないよう、普段よりずっと注意を払って行動するので、首の後ろが痛くなるほどだ。それでも、頻繁に一人で寝泊まりしていた頃は、ずいぶん慣れてあまりストレスを感じなかったが、名古屋の大学を辞めてからは、一人で仕事の旅行に出る機会はぐっと減り、今回はちょうど1年ぶりだったので、だいぶ応えた。
 また、演奏の前はどうしても神経が過敏になるので、必要以上に自我を張ったり、どうにもならないことをくよくよ考えたり、別の自分が頭の中で悪さをすることがある。だから私は、「周りの人とは笑顔で」とか「決して怒らず」とか、自分に強く言い聞かせ、良い自分がいつもしっかり存在し続けるように努力するのだが、時々「なんのためにそんなことをやってるんだ?我慢ばかりしていたって仕方ないではないか」ともう一人の自分にやっつけられてしまう。美寧子がいれば、「そんな馬鹿なことを言ったってどうにもならないでしょ」と怒られるので、それをあらかじめ予想して自制心を働かせることもできるのだが、その歯止めがないと、つい我が侭になって周囲の人を困らせることになる。
 今回の旅行でも、練習場へ行くのに「タクシーを使いましょう」とライトハウスのスタッフが言ってくれたのに、「僕は電車で行きたいんだから」と強く主張してしまった。向こうは私に気を遣い、疲れないようにと考えてくれたのだが、私が電車で、と言ったのに2度3度「タクシーにしましょう」と押し返してきたので、「そんなに私と歩きたくないんですか」という禁じ手発言をしてしまった。これでは、まるで喧嘩を売っているようなものだ。そして私は、今もなお「まずいことをしたな」と悔やんでいる。
 だが、あの時は電車で行きたかった。久しぶりにJR福知山線に乗ってみたかったし、夕方の街を歩きたくもあった。「車で行く方が疲れないだろう」といたわられることにも抵抗があった。それに、電車なら15分の距離でも、タクシー代は4・5千円かかるから、かなりの倹約でもある。駅から練習場まで15分の徒歩の時間を加えても、タクシーの場合と所要時間にそれほど大きな差はない。すべてにおいて、電車の方が良いと私は考えたのだ。そして、それを察してくれない相手に「なぜ自由にさせてくれないのか」と怒りをあらわにしてしまったのである。
 同行してくださったスタッフは、車窓から見える景色を説明したり、9年前の脱線事故の現場に差し掛かったことを教えて下さったりして、私は電車の15分間を楽しみ、日差しの中を練習場まで歩いてリフレッシュすることができた。だが、なにもあのように激しい言葉で要求することではなかったと思う。もっと人間が練れてくれば、あのように怒ったりせずに目的を果たす方法を見つけられるようになるだろう。まだまだ修養が足りないということだ。母は、私が演奏旅行に出かける度に、「怒ったりしないで、向こうの人と上手にやってね」と心配してくれていた。これからは、私自身がその警告を、自分に対して出し続けなければいけないだろう。
 共演者とは、楽しく仲良く、一緒に仕事ができた。来年もまた、4月に同じ顔ぶれでライトハウス・コンサートが予定されている。この時、私は70代になっている。修養を重ね、もっとスケールの大きな人間になって戻りたい物だ。