大阪で、3年ぶりに「千里フィルハーモニア大阪」と競演し、無事にコンサートを終えて帰京した。今年で30回目を迎えた「日本ライトハウス・チャリティコンサート」である。ちょうど30年前、当時のライトハウス理事長から、「在阪のアマチュアオーケストラと和波さんのコンサートをやりたい」との相談を受けた時は、まだ35・6歳だった。そういう仕事で視覚障害者の福祉に貢献できるのは大きな喜びだったし、毎日ホールで開催された第1回のコンサートは大入り満員で、立ち見も出るほどだった。この時私は、今回と同じメンデルスゾーンの協奏曲を弾いた。
それから毎年、私はこのコンサートのステージに立ち、さまざまな協奏曲を弾く機会に恵まれた。土屋美寧子がモーツァルトやリストの協奏曲を弾いて、私がコンサートマスターを務めたこともあったが、このような企画は通常はなかなか実現しないだけに、ライトハウス・チャリティコンサートは毎年の私の大きな楽しみとなっていった。
第9回目までは、関西OB交響楽団が出演し、橋本徹雄氏が指揮をとって下さっていたが、10回目には初めて千里フィルが出演。この時は、ちょうどロンドンでのレコーディングを控えていたブラームスの協奏曲を弾き、大いに勉強になったことを懐かしく思い出す。
11回からは、私の「八ヶ岳サマーコース&コンサート」の受講者を中心に結成した「いずみごうフェスティヴァルオーケストラ」や、京都フィルハーモニー室内合奏団なども出演したが、私は欠かさずソリストとして演奏を重ねた。そして2002年、第20回の記念に、小松一彦氏の指揮する千里フィルでベートーヴェンの「第9」を演奏したのだった。この年は、ちょうどサイトウ・キネン・フェスティバルで第9が取り上げられ、私もメンバーとして参加するために準備していたので、この千里フィルの演奏に第1ヴァイオリン奏者として加わらせてもらい、コンサートマスターの隣で弾いて、貴重な経験を積むことができたのだった。
さすがに20年も続けると、「そろそろ他のアーティストで」との声が主催者や支援者の間から上がったらしく、この20周年を機に私は出演者から外れることとなった。しかし、2年後には大阪フィルハーモニー交響楽団が出演することになり、私はソリストとして呼び戻されて、大植英次氏とモーツァルトの協奏曲、第3番を協演した。さらに、第25回に当たる2007年からは3回連続で、澤和樹氏の指揮する千里フィルと協演。長年の友人である澤さんとの音楽作りは、私の新たな喜びとなり、バッハの「二つのヴァイオリンのための協奏曲」やサラサーテの「ナヴァラ」、モーツァルトの「協奏交響曲」などを一緒に演奏した。そして、3年ぶりの復帰となった今年は、澤さんの提案で再び「第9」をやることになったのである。
どうしようかと迷ったが、結局私は「今回もオーケストラに加わりたい」と志願した。協奏曲のソロだけでもけっこう大変なのだが、さらに70分の大曲、しかもオケのパートを暗譜で弾くというのは、少々無謀かもしれないと思ったが、やりたいという気持ちが勝った。そして、4月1日からオーケストラの練習に加わったのだった。1日は日帰りし、8日と10日のリハーサルは、大阪に留まって両方とも出席した。8日からはメンデルスゾーンの練習も行ったが、私は「オーケストラを弾くことで本来のソロの演奏にちょっとでも支障があってはならない」と、かなり気を入れて練習していた。
千里フィルには若干の専門家も加わっているが、大半はアマチュア、しかも忙しい仕事の合間を縫って練習に駆けつける熱心な方々の集まりである。和気藹々の雰囲気で、真剣な練習が行われるわけだが、どうしてもアマチュアの限界があることも事実だ。だから私は、彼らとの演奏を楽しみながらも、ふっと挫折感に襲われることもあった。また、独り相撲をとって過度に緊張することもあった。そうした経験や反省も踏まえ、今回はできるだけ私の考えを言葉で伝えようと試みた。そして当日は、ヴァイオリニストとして曲を隅々まで知り尽くしている澤さんの的確な指揮にオーケストラが見事な反応をし、私のソロに寄り添って一体感のある音楽を作り上げてくれたのだった。
今日、その録音が届いた。ハーモニーやリズムに不完全なところもあったし、私も完璧ではないものの、新鮮な息吹を感じることのできる、しかもまとまりのある演奏になったと、改めて喜びを味わい直した。気合いを入れて臨んだ本番でも、その気合いが空回りすることは少なくないのだが、今回はそうならなくてよかった。澤さんにも、オーケすとらのメンバーにも喜んでいただけたし、お客様にも好評だったとのことで、ひとまず責任を果たした安堵感に包まれている。
第9では、ソロの歌手陣に二人の視覚障害者が加わって心を合わせた四重唱を聴かせてくれたし、この会のために組織された「記念合唱団」とともに、素晴らしい「歓喜の歌」を歌い上げた。30年の歴史をかみしめながらステージに立ち、私は瞼の奥がうっすらと濡れてくるほどの感動を味わっていた。「音楽の力で傷なの大切さを訴えたい」と臨んだ今回のコンサートだったが、聴いてくださった方々の心にほんの僅かでもなにかを残すことができたとすれば、この上ない幸せである。