大阪のホテルで

2015年7月2日

いつかこんな日が来ることを夢見ていた。傍にiPhoneを置き、ブルートゥースのキーボードに向かって文字を打つ、これはもう10年近く前にある有名人のエッセイにあった光景だ。
彼は、ITの申し子として時代の先端を行く活躍をしていた人だ。まだ、Iphoneが日本語の読み上げに全く対応していなかった頃の話である。
重いパソコンを持ち歩いて苦労していた私は、「いつか自分も、ホテルの部屋で小さなiPhoneを駆使して原稿を書くなとどいう日が来るのだろうか?それまで生きていられたらいいな」などと漠然と考えていたものだ。
そして今、私は大阪のホテルの部屋でそれをやっている。目の見える人にとっては、驚くには当たらないことだろう。だが、私たちにもこんなことのできる日が来たという喜びは、例えようもない。
70才の私が、こうした小型の端末を使いこなして、自分のブログを書けるとは、なんと素晴らしいことだろう。
先ほど、一人の大学生にれっすんをした。真面目に一生懸命弾いているのだが、どうも覇気というか、喜びというか、そういうものが音から伝わってこなかった。もっと素直に作品の温かさ、美しさを伝えられる弾き方ができたらよいのに、と思いながら、それを教えることの難しさも感じていた。なんとなく、その人にはまだ生きる目的が定まっていないような、心許なさを感じたのである。
新幹線の中で焼身自殺をするという、とんでもない人間が現れた。多くの人を巻き添えにした彼の行為は、最も強い言葉で批難されなければならない。しかし同時に、そんなふうにしか自分の人生に幕を降ろすことができなかった人間の哀れさも、思わずにいられなかった。
幸い、私は両親や先生方のお陰で、素晴らしい生き甲斐を手に入れることができた。そして、本業だけでなく、iPhoneを操るといった趣味にまで、わくわくするような喜びを感じながら毎日を生きている。なんと有り難く、なんと幸せなことだろうか。この幸せを、一人でも多くの人たちと分かち合うために、残りの人生を捧げたいと、心から思う。
明日は、大阪で私的なコンサートを行い、その後にまた2人のレッスンをする。これらの行為を通じて、何人を幸せな気持ちにできるだろうか。しっかり自分の仕事をしながら、周りに幸せを振りまけるような音楽家になれたら、それこそ「言うこと無し」だと思う。そんな自分を目指して、明日もやってみよう。