学生たちとの合奏

2010年11月7日

 年齢を重ねてくると、だんだん怖いものがなくなり、悠々たる気分で暮らせるのではないかと、そんなイメージを持っていた。でも、現実は少し違うようだ。

 私が始めて弦楽合奏の指揮をとったのは1989年のことだった。「アフタヌーンコンサート」で、知り合いのオーケストラメンバーや大学の後輩、八ヶ岳のサマーコースを受講した人たちなど、確か15・6人のアンサンブルで、ブリテンの「シンプル・シンフォニー」やヴィヴァルディの「四季」を演奏した。この時のポジティブな手応えから、「弦楽アンサンブルの演奏を自分の活動の柱の一つにしよう」と思い定め、八ヶ岳の受講者を中心に「いずみごう・フェスティヴァルオーケストラ」を作ったのが1991年だった。

 定期的に練習を重ねながら、八ヶ岳などで時々コンサートを行い、1993年の4月2日にサントリーホールにデビュー。翌年には、浜離宮朝日ホールで2度目の自主公演を行った。同じ年には、「クリスマス・バッハシリーズ」でも彼らの協力を得てバッハの協奏曲を演奏し、これが私の「サントリー音楽賞」受賞の原動力となった。

 私が弦楽合奏に力を入れたのは、学生時代に経験した仲間との合奏の楽しさを、後輩たちにも味わって欲しい、その中で私の求める音楽の形を再現したい、と考えたからだった。齋藤秀夫先生の訓練は非常に厳しいものだったが、そのお陰で私は、指揮棒を見なくても皆としっかり合奏ができる力を備えることができた。実際に指揮を見たことがないので、多人数の合奏をリードするときはどうすれば良いのか、観念的にはわかっていても自分の動作で実践するのは簡単ではない。でも、音楽に対する強い思いがあって、それを奏者たちが受け取ってくれれば、私にも必ず合奏の指揮ができるはず、と勢い込んで始めたのがこの活動だった。CDも2枚をリリースし、1997年頃までは毎年コンサートを行ったり、依頼された演奏の仕事に出かけることもあった。

 だが、グループの運営にはさまざまな雑用がついて回るし、私自身の勉強も大変だった。点訳グループが知恵を絞って、読みやすい点字のスコアを作ってくれたが、それを読んで細部まで勉強するのは、とにかく時間をかけてこつこつやるしかない。そんなこんなで次第に合奏の機会は少なくなり、2002年9月の紀尾井ホールでの演奏を最後に、弾き振りは辞めてしまった。2005年には、私の60才記念コンサートに、この合奏団のメンバーに集まってもらったが、この時は通常よりかなり人数を増やし、管楽器の方々にも協力を得て、30人余りの室内オーケストラとして飯守泰次郎氏に指揮をお願いした。八ヶ岳の1期生から現役の大学生、海外のオーケストラで働く昔の弟子にも加わってもらい、それはまさに私の「夢のオーケストラ」だった。

 そのコンサートの直後、私は愛知県立芸術大学で教え始めた。学校が開いているのは年間8ヶ月ほどだが、平均すれば2週に一度、名古屋への日帰り通勤を続けた。生活のリズムが変わり、一人旅のストレスもあって厳しい時期を経験したが、間もなく6年の任期を勤め上げようとしている。

 最長6年、ということで非常勤の仕事を引き受けたが、最後までやり通せるとは思っていなかった。それを可能にしてくれたのは、なんと言っても学生たちの熱心さと、受け入れて下さった先生方のご親切のお陰であり、それが私の心に県芸への愛着を呼び起こして、いつの頃からか「任期満了まで勤めよう」との決心が固まっていた。

 その県芸最後の年に、私は大学院生の合奏の授業を担当することになり、その成果を発表するコンサートも用意された。そこで私は、合奏を指揮し始めた頃に演奏した曲、ブリテンの「シンプル・シンフォニー」、ハイドンの「ヴァイオリン協奏曲ハ長調」、チャイコフスキーの「セレナード」を選んで、4月から授業を進めてきた。さほど親しく付き合っている学生たちではないので、最初のうちは彼ら、彼女らの中に少し戸惑いがあったようだ。ただでも年の離れた先生との距離は近くはないし、さらに「目の見えない先生にどう接したら良いのか」といった戸惑いもあったかもしれない。私のイメージしている音楽が、なかなか彼らの中に入っていかないようなもどかしさを感じることもあった。

 しかし、長い夏休みが明けると、彼らの音が変わっていた。前より私の支持への反応が早くなり、音楽に一体感が出てきた。コンサートは今週の水曜日、月曜と火曜は最後の集中練習を行う。

 名古屋の大学でのさまざまな思い出の集大成として、私はこの演奏会に自分の可能性をかけてみようと思う。「若い頃と同じようにできるだろうか」と、時々不安になるのだが、自分の経験と力を、そして学生たちの力を信じて、自分の描こうとする音楽の世界へ入っていこう。そして、集まって下さるお客様に、弦のサウンドの心地よさ、美しさを味わっていただける時間となるよう、皆で全力を尽くすつもりである。(コンサートは、11月10日の午後6時半から、長久手文化の家の「風のホール」で開かれる)