快適な日々

2020年1月11日

2020年になって、早くも10日が過ぎた。元日から藤沢に住む甥を訪ねるなど、久しぶりにアクティブな過ごし方をした今年の正月だったが、それでも心身はずいぶん休まった。門下生の発表会を来週に控えているので、5日からレッスンを開始し、毎日2・3人の生徒を我が家に迎えて教えているが、今のところ全くストレスを感じることなく楽しくやっている。
 何事によらず、私は割合ストレスを感じやすい性格の人間だと思う。妻の美寧子に言わせると、「何故そんなことでいちいち悩むの?」となるのだが、一人で考えているとどんどんネガティブ志向になって、心が重く、暗くなってしまうのだ。それを美寧子に話して軽く一蹴され、自分も「なんでこんなことで悩んでいたんだろう」と頭の中がすっきりしたりする。ストレスをため込まないように、何かあればすぐ彼女に話してしまうのだが、話さなくてもストレスを貯めない術を弁えるべきだと痛感している。
 たとえば私は、世の中の出来事にもけっこう心が影響を受けたりする。25年前、まだお元気だった日本点字図書館の本間一夫先生をお訪ねした時のこと。「どうも最近は憂鬱で」と愚痴をこぼすと、先生が「どうしたの?」と優しく尋ねてくださった。「オーム真理教のことなどいろいろ気になって」と言うと、「それが和波さんなんだよね」と笑っておられた。今も、ニュースを聞けば耳を覆いたくなるような出来事ばかりが報じられている。なにしろ、嘘で塗り込めラれた心の持ち主が首相として国を率い、「美しい国」などと絵空事を口にする今の日本である。以前の私なら、「こんな穢れた国には住みたくない」とかんかんになって怒っているだろう。だが今は「怒ったってどうにもならないよな」と諦めの心境である。どちらが良いのかわからないが、こうなったのも「年のせい」かもしれない。
 高校時代のクラスメイトが運営しているメーリングリストがあって、10数人のメンバーが時々の思いを投稿している。新年最初の投稿で、一人の友達が「最近は皆自分のことしか考えない」と愚痴っていた。「トップに立つ人間がその悪い模範を示しているんだから、仕方ないじゃないか」と私は思う。日本もそうだが、アメリカのトップはもっとひどい。露骨に、大統領選挙を意識した行動を取り続け、巧みに国民の支持を広げているように見える。彼のお陰で地球温暖化対策も水を刺されたかっこうになっている。
 今のように、利己主義者ばかりが世界を牛耳る状態が続けば、人類の滅亡は早まるに違いない。とは言っても、私が生きている間に滅亡することはないだろうから、「俺には関係ない」」と嘯いていればいいのかもしれない。「いや、それでは余りに無責任ではないか」と我が身を攻める気持もあるが、なるべくそれをストレスにしないよう、心がけている。
 ところで、最近の私が元気なのには、睡眠導入剤として長く服用を続けていた「デパス」を飲まなくなったことも、その理由の一つではないかと思っている。夜中に始終目が覚め、たっぷり眠ったという爽快感が持てないのは、もう30年以上前から続いている現象だ。いろいろな薬を試したが、2005年に医者が処方してくれたデパスが自分に合ったので、ずっとそれを使っていた。
 ところが、12月8日の朝日新聞に、「高齢の人がデパス系の薬を服用し過ぎると、認知症の危険が高まる」というようなことが書かれていて、突然心配になった。そういえば、以前は飲んだり飲まなかったりだったのが、いつの間にか毎日欠かさず飲むようになっていた。それに、この薬を飲んで朝までぐっすり眠ったと感じた時でも、朝食を終えた後で「もう少し眠りたいな」と思ったり、なんとなく疲れた気分で1日を過ごすことも増えてきたような気がする。「もしかしたらこの疲労感の原因がデパスかもしれない」と思い立ち、クリスマス前から飲むのを辞めてみた。
 最初は、毎朝早く目が覚めて、寝不足の状態が続いたが、それでも疲労感や憂鬱な気分はなくなったように感じられた。薬を飲まずに頑張っていたら、年が変わったころからだんだんよく眠れるようになってきた。今は、寝つきも早いし、朝も私らしく寝坊を楽しめるまでになった。「やればできるんだな」と一種の達成感を抱きつつ、毎日気分よく過ごしている。もっと忙しくなってきたら、またデパスに頼りたくなる紐来るだろう。でも、長く続けないよう、薬に頼らずに生活することを大切にしたいと思う。
 来週は生徒の発表会、そして2週間後にはイタリア大使館での演奏がある。今の心の張りを保ちながら、一つ一つの仕事に向かいたいと思う。