暗澹たる気持ちで

2020年3月31日

3月が今日で終わる。いつもなら、自然に心が浮き立ってくる季節なのに、今の私は暗澹たる思いで打ち萎れている。
 コロナの問題が、これほど長く尾を引くとは、全く想像すらできなかった。そして私は、その読みの甘さに、愕然となるのだ。
 ほろ苦さとともに思い出す、一つの出来事がある。2月28日の夜、札幌にいる昔の弟子、田島君から電話が入った。4月5日に、私の桐朋学園退職を記念して新旧門下生が集まって小音楽会を開く、という計画を延期したいと言ってきたのだ。「1ヶ月経っても流行が収まらないなんて、そんなことがあるはずはない」と私は本気で思っていた。
 音楽会は、大学の教室を借りることになっていたので、大学からの延期の要請には従わなければならなかったが、「なぜこんなに早く決断するのか」と不満だった。しかも、田島君は「音楽会の後に予定していた懇親会も、日を改めて行いたい」と言ったのである。
 退職は、私にとって言葉に言い尽くせないほど寂しいことだ。その時に、桐朋で教えた人たちが集まってくれるのは、最高の癒やしだと喜び、それを心から楽しみにしていたのである。それを、まだ40日も先なのにあっさり辞めてしまうのは、納得がいかなかった。私は彼の弱気を攻め、「なんとか開いてくれよ」と叱責してしまった。
 今にして思えば、なんと浅はかなことであったか!結局のところ、田島君の方がずっと先見の明があったということになる。恥ずかしい話だ。
 それから4週間後、オリンピックが延期になる直前、私は「懇親会が予定通り開けるだろうか」と不安を抱えていた。「感染を心配している人はいませんか?もしも躊躇いながら参加する人がいるなら、それは私の本意ではないが、大丈夫だろうか」と幹事にメールを送った。それに対しては、「消毒用のアルコールも準備したし、予定どおり開けると思います」と明るい返事が返ってきて、私をほっとさせた。
 ところが、次の朝にはオリンピックの延期が報道され、夜には都知事が外出自粛を呼び掛ける記者会見を行った。地方にいる弟子から心配するメールが届き、一気に中止への流れが巻き起こって、その夜のうちに「延期」が決まってしまった。
 「やむを得ない」と理屈ではわかっていたが、あまりの寂しさ、情けなさに、私の心と身体のバランスが少しおかしくなった。ほとんど仕事が手に付かない状態が、2・3日続いた。
 これではいけない、と懸命に自己コントロールに努め、今は低空飛行ながらバランスを取り戻して、普通に生活できている。だが、コロナをめぐる情勢はどんどん悪い方へ進んでいるように見える。こんな時に、心を浮き立たせるような希望を見出すことなど、できるだろうか。
 5月のローマでの演奏は、とても不可能だと思うが、まだ中止の連絡がない。6月の静岡でのブラームスの協奏曲、夏の「八ヶ岳サマーコース&コンサート」、松本のオザワ・フェスティバル、そして10月10日の「アフタヌーンコンサート」と、私の予定は決まっているが、それらが実施できる目処は立っていない。
 音楽家としての私は、絶対に消極的になってはいけないと、肝に銘じている。だから、あと1・2ヶ月で流行が下火になり、これらのイベントが予定どおり楽しく開催できることを願って、準備を進めて行く。だが、本当に希望はあるのだろうか。日本だけでなく、世界中に広がってしまった感染が、下火になるのだろうか。
 私がいくら我慢しても、感染終息のためにどれほどの力になれるわけでもない。それが無性に虚しい。それでも、我慢しないわけには行かない。どんなに寂しくても、気持ちが沈んでも、必要のない他人との接触は避け、必要のない外出も自粛するように努めなければならない。
 今の日本には、いや地球上には、私よりもっと辛い我慢を強いられ、苦労をさせられている人が無数にいる。その人達を思って、私も耐えなければならない。早くこの悪夢が終わることを願って、とにかく毎日を健康で過ごすことに努めよう。