来年は希望を持って

2012年12月17日

いよいよ今年も残り少なくなってきたが、先週は私にとって記念すべき日が2日あった。まず12日は、楽壇デビュー記念日。1963年のこの日、齋藤秀雄先生が客演指揮した日本フィルの定期演奏会でグラズノフの協奏曲を弾いたのである。同じ年の3月には東京交響楽団とも協演したが、私はやはり定期演奏会のソリストを務めた日を「デビューの日」と位置付けている。あの日から49年が経過し、来年はデビュー50年となるわけだ。

続いて15日は、私のバッハ無伴奏作品のCDが発売されて1周年の日だった。もうあれから1年かと驚きながら、レコーディングの思い出や編集の苦労などを思い出し、少しだけ自分の演奏を聴いて感慨に浸った。

実は、自分的には、このCD発売によっていささか減り気味になっているコンサートが増加に転じることを期待していた。東京では毎年クリスマスの時期に自主コンサートとして「クリスマス・バッハシリーズ」を続けているが、東京以外でもこれまでに横須賀、沼津、仙台、名古屋、大阪、鳥取、佐賀などでバッハ無伴奏作品のリサイタルを開く機会があった。だがそれらは、1980年代から2000年頃までのことで、それ以降はすっかり機会に恵まれなくなった。私のバッハを聴きたいと望んでコンサートを企画して下さる方が、いなくなってしまったのである。今度のCDで再びそういう方々が増えて下さることを期待するのは、私としては当然のことだと思う。CD製作というのは、もちろん愛好家の皆さんにそれを聴いて楽しんでいただくことが第1の目的だが、それによって自分の活動を促進する目的もある。しかし、残念ながら2012年は、そういう意味では期待が裏切られる年となった。

演奏の仕事が増えないのは、何が原因なのだろう。自分のどこに問題があるのだろう、と自問自答の日が続いている。ただ、有効な手立ては見いだせていない。マネージャーも大変な努力をしてくれているのだが、状況はあまり好転していない。

もちろん、演奏家の中には、私よりずっと苦労しておられる方も少なくないと思う。だが、私にとって3ヶ月も本番から遠ざかるのは、とても悲しくつらいことだった。気分転換をはかろうと、毎週末に代々木公園に集まって視覚障害者と伴走者がランニングやウォーキングを楽しんでいるグループの会員になって、何度も歩きに行ったりした。それはそれで楽しかったし、体にも良かったのだが、演奏の仕事は週末が多いため、「土曜日にこうして歩いているということは、自分に仕事がないことの証明だな」などと考えると、楽しいはずのウォーキングで暗い気持ちになることもあった。

秋以降は、幸いなことに、岩崎洸さんとのトリオの本番が4回もあり、他にピアノとのリサイタルなどもあって、そんな鬱にも似た状態は解消した。昨日も雑司ヶ谷音楽堂で、熱心に耳を傾けて下さるお客様の前で演奏しながら、しみじみ幸せをかみしめた。「聴いて下さる方がある」と思えば毎日の練習にも気持ちがこもるし、本番によってその練習の成果を自分で確認して、喜んだり反省したりしながらまた次の本番の準備をする、といった生活は実に張りがあるし楽しいものだ。

既に述べたが、来年はデビュー50年の年になるので、それを記念して6月9日に紀尾井ホールで、「我が心のブラームス」と題したリサイタルを開く計画を立てている。土屋美寧子のピアノと共に、ブラームスのソナタ3曲を演奏する。派手な企画ではないが、今の私が最も素直に自分を表現できるのがこうしたプログラムだと考えて、それを実現させることにした。お客様を集めるのは大変かもしれないが、これまで私の音楽を愛好して下さった方々に加えて、ブラームスのお好きな方々にも今の私の演奏を、そしてヴァイオリンの音色を味わっていただきたいものと願っている。

できることなら、このブラームスの企画でも、バッハのソロでも、またミックスしたプログラムによるリサイタルでも、もっといろいろな地域の方々に私の演奏を聴いていただきたいものと切望している。希望を持って、信念を迎えたいと思う。