母のこと

2013年6月7日

 94才になる母が、同じ敷地内の隣の家で一人暮らしをしている。数秒で行けるところだが、独立した家なので、お互いに自分たちのペースで生活できる。それはとても有り難いことだ。とは言っても、母は足腰がだいぶ弱くなっているし、食も細い。体力が少しずつ落ちているようなので、私としても不安を感じることは少なくない。それでも、母はなるべく自分のことは自分でしようとしているし、その意志の強さが元気にも繋がっているのだろう。一方、私は手伝いたくても手伝えないもどかしさがあり、時々複雑な心境に陥ってしまう。
 その母が月曜日に寝室で転び、足を強打してしまった。骨にも少し傷があるとのことで、回復までには時間がかかりそうだ。ただでもワゴンに捕まってそろそろと移動していた母だが、その移動がかなり難しくなっている。こうしたことが起こるのも無理からぬ状況なのだが、私は思いの外心が動転してしまった。9日の紀尾井ホールに来て欲しい、それまでは何事もなく過ぎて欲しいと願い、祈りにも似た気持ちでいたのに、母は怪我をしてしまった。それでも母は、「車椅子に座っていれば痛くないから行けるわよ」と言っている。甥夫婦も、母をエスコートするために予定を空けてくれている。だが、本当に大丈夫なのだろうか、母は私をがっかりさせないように、無理をしているのではないだろうかと、心が波立つ。
 自宅にいる時は、母には常に優しく接し、母の立場になって物事を考えようと肝に銘じているのだが、実際に顔を合わせると、ついきついことを言ってしまう。今日も、「○○さんが日曜日の朝に支度を手伝ってくれたら安心なんだけど」と言うが、「じゃあ電話してみたら」と私が言うと、「でもそれだけのために来てもらうのもねえ」とためらっている。どうしたいのかわからない母の言葉を聞いているうちに、だんだんいらいらしてくる。苛立った口調で物を言うから、母もよけい嫌になってしまう。そんなことで、心ならずも喧嘩をしてしまうことがあって、「俺は何をやってるんだろう」とまた自分に腹が立ってきたり、とにかく困った息子なのである。
 実際のところ、日曜日の外出は大丈夫なのだろうかと不安が募る中、今夜母に呼ばれて「今回は諦めるわ。勘弁してね」と言われた。長時間、懸命に考えての結論らしかった。「何事もなく9日まで今の状態が続いて欲しい」と前々から祈るような気持ちで願っていたのだが、母は転び、そして私のデビュー50年の演奏を生で聴いてもらうことができなくなってしまった。もちろん録音で聴くことはできるが、私にとっては、生に比べれば録音はほとんど何の価値もない演奏にすぎない、その場に一緒にいて、弾き手も聴き手も同じ演奏を共有する。それこそが「演奏会」の価値なのだ。言葉には表せない無念さと、「仕方がないな」という諦めがない交ぜになって、心の中は複雑だ。でも、自体を受け入れるしかない。そして、「怪我をしたのが私自身でなくて良かった。私は元気で演奏会に臨めるのだから」と気持ちを切り替えなければいけないと思った。
 母の決断は、どうやら私の諸々の心配を取り除いてくれる結果になったようだ。「自分のことは考えず、ブラームスに集中しなさい」という母の思いを感じた。心が吹っ切れて、なにか頭の中がすっきりしてきた。今後の母の生活のことは、コンサートが終わってから、長年面倒を見てくれているケアマネさんともよく相談して決めてゆかなければならないが、とりあえずは9日の音楽会に集中しよう。母に聴いてもらえない無念な気持ちもまた、ブラームスの中に取り込んで表現すればよい。とにかく、またステージに立てる喜びをかみしめながら、集まってくださるお客様のために心を込めて演奏しよう。