母の一周忌

2015年2月17日

 母が亡くなって、1年が過ぎた。夜中の3時に病院からの電話に起こされて、急いで支度をして病院へ向かった日から、もう1年とは信じ難い。
 葬儀の日、私は「母にもらったこの命を大切にし、精一杯楽しく生きよう」と自分に語りかけた。それから1年、まずまず元気に、まずまず忙しく、まずまず楽しく、どうやら平穏無事に過ごすことができた。母は、あちらの世界からこの私をどんな風に見ているのだろう。
 練習室に仏壇を置いたので、いつも母に見通されているような気がするのだが、それでも私は、よく練習中にうたた寝したり、やる気のない練習をしたりする。これではいかんと気を取り直し、仏壇の前で手を合わせて、また仕事に励む、といった具合である。
 事件や事故が多く、災害も頻繁に起こる今、無事に生き続けていられるだけでも、大いに感謝しなければならないと思う。あと1ヶ月半頑張れば、私は古稀を迎えることができる。「仕事が少ない」と嘆いたり、「なかなか楽しいことに出会えない」と愚痴っぽい気分になったり、「老後が心配だ」と落ち込んだり、時々私は「老人性憂鬱症ではないか」と疑われるような症状を呈するのだが、落ち着いて考えれば、ここまで無事に生きてきただけでも素晴らしいではないか、と気持ちが変わる。
 老いて、皆から忘れられ、孤独で人生を終わるかもしれないと考えると、恐ろしくなる。でも、少なくとも今は、そういう状態ではない。たくさんの門下生が集まってオーケストラを作り、そのバックで協奏曲を弾くという、夢のようなコンサートが間近に迫っていることを思ったら、落ち込んでなどいられない。私は、いつも誰かに囲まれるようにして過ごせたら、それが最高だと思っている。だが、特に私の生徒や昔の弟子たちは、忙しいだろうと気を遣うのか、それともあまり私と会いたくないのか、家を訪ねてきてくれることなど皆無と言ってよい。だから私は、信頼のおける昔の弟子に「こういうコンサートがやりたいんだ」と持ちかけ、実行委員会を立ち上げてもらうことに成功した。「一緒に音楽をやろうと言えば、きっとみんな集まってくるだろう」と思った。そして、そのとおりになった。
 練習から本番に至るまで、私は彼らに「先生と一緒に音楽がやれて幸せだった」と心から感じてもらえるような時間にしたいと、そればかり考えている。もしそうなれば、その幸せの波が客席にも伝わるだろう。さらに、その波はどんどん広がって、天国の母にまでも届くことだろう。
 先日、コンサートの司会・進行をお願いした山田美也子さんと打ち合わせをしたが、いきなり彼女を当惑させてしまった。「1曲目の川畠さんとの共演は、共通の恩師である江藤俊哉先生に捧げる気持ちでやるんです」と話すと、彼女は少し考えて、「でもこれは和波さんのお祝いのコンサートですよね」と言った。たしかに、司会者がいきなり「これは恩師に捧げる演奏だそうです」と紹介したら、お客様もびっくりだろう。
 ちょっと説明不足だった。私は、このコンサートをお客様だけのために開くのではない。私を生み、育て、応援してくれて、既に冥界へ旅立ってしまったすべての方々への感謝を込めて、演奏したいと思っているのだ。でもそれは、わざわざ口に出すことではないだろう。とにかく今は、充実した練習を重ね、健康でその日を迎えたいと願っている。もちろん、オーケストラのメンバーも、一人も欠けることなく、全員が元気で集まって欲しい。
 明日は、母の一周忌の法要である。コンサートまで痕わずかになったことを御霊に報告しつつ、祈りを捧げよう。仏になった母が、父や姉とも一緒に、コンサートを見守ってくれるに違いないと信じている。