移りゆく季節の中で

2013年11月20日

 今日は11月20日、もう今年も残すところ6週間である。こんなに早く時が流れて良いのか、というのは、このページを更新しようとする時いつも必ず思うことだ。自分の毎日が、地球の自転に付いて行けない、そんな感想を常に抱きながら暮らしている。
 地球の回るスピードはかなり速い。だが、私たちはすごい勢いで回転しているというような感覚は全くない。もう地球が忙しく回ってくれているのだから、その上で安心して身を任せ、のんびりと暮らして行けたら、などと考えてしまうのは年のせいだろうか。「なぜお前はそんなに焦っているのか」と自分の心に問いかけたくなる。地球が速く回るなら、季節がどんどん移ってゆくなら、それに身を任せてゆったり構えていれば良いではないかと。
 だが、もし私がマイペースでやり始めたら、コンサートなどできなくなってしまう。本番の日に照準を定め、そこに向かってできる限りの準備をする、それがこれまで私のやり続けてきたことだ。それができなくなったら、もう終わりである。
 今は、12月21日のバッハシリーズに備えて勉強したり、プログラムノートを書いたりというのが目下の仕事だ。勉強といっても、もう何度も弾いてきた曲だから、特に新しく勉強しなければならないわけではない。ところが、それが問題なのだ。「前と同じことをやっているのでは意味がない」「新しいデザインの織物を広げて見せるような新鮮なバッハを届けなければ」と思って、あれこれと苦労するのである。
 共演者の武久源造さんは、古楽については私などとうてい及ばないほどの広い知識と経験を持っておられる。それを少しでも私のものとして消化し、音楽に生かすこと、それが今回の目標の一つだ。だが、無伴奏作品も弾くので、こちらは一人で何とかしなければならない。2年前のレコーディングを踏まえて、もっと自由に、もっと自然に、そしてここが難しいのだが、もっと説得力のあるバッハに仕上げたい、と抱負を持って取り組んでいる。そのために十分な時間が欲しいのに、日にちがどんどん過ぎてゆくのがしゃくに障る、というわけである。
 演奏を向上させるために、左手のフォームの改造にも取り組んでいる。2年前、自分の技術に問題を感じてジェラール・プーレ先生をお訪ねし、いろいろアドバイスをいただいたが、そのことが少しずつ実践できるようになってきている。「ああ、こうすれば楽だな」と意識できる瞬間が増えてきた。それが実際の本番でどこまでできるか、音のきらめきや集中力の持続、といった問題を改善できるかが、今回の演奏に当たって自分に与えた課題だ。それらがうまく行ったら、私は未来に希望を持って年が越せる。希望のない年越しなどは困るから、何としても次へ繋がる演奏を披露して今年を締めくくりたいと、今はその気持ちでいっぱいだ。
 だが、その割に私の生活には遊びが多い。これがまた、大問題なのである。10月は、まさに「スマホ三昧」で過ごしてしまった。待ちに待った音声読み上げ対応のらくらくスマートホンが発売されたので、数日後には買いに行き、「携帯に比べて使いにくそうだな」とためらいながらも、新しい物欲しさに買ってしまった。携帯と両方を使うのは余りにも贅沢なので、携帯は解約し、何が何でもスマホを使わなければならない状態に、自分を追い込んでしまった。
 携帯でできていた検索や列車の予約、メールなどがスマホでも一応できるようになったのは、およそ2週間後のことだった。さらにネットラジオやスカイプなど、携帯ではできないさまざまな用途があることも知って、今は幸せいっぱいである。「ヴァイオリンよりスマホの方が上達が早いな」と苦笑しながら、それでもこののっぺらぼうの薄い板をなで回しながら楽しんでいる。
 指で画面を触ると、その場所に書かれていることを音声で読み上げる。他に、音や振動でも指先に情報を伝えてくる、実によくできたスマホだ。それでも、アプリの中にはすべて「ボタン」としか読み上げてくれない物や、「画像15」などと意味のないことを読み上げてしまうものも少なくない。たとえばネットラジオでは、「上野左側のボタンが再生」「その右がスリープタイマー」「下の左側のボタンが停止」などと覚えておかなければならず、大変不便だ。中には「停止」とか「メニュー」などとちゃんと読み上げてくれるアプリもあるのだから、すべてのアプリが画像だけでなく文字データを埋め込んでくれるように、といった統一規格を作ることができないものかとしみじみ思う。
 突起のない板の表面を探ってお目当てのボタンにたどり着くのは、けっこう難しいが、そこにはゲーム感覚の面白さもある。「ヴァイオリンで正しい音程を探り当てるのに似ているな」と思ったら、おかしくなった。「音程もゲーム感覚でさらってみるか」と気合いを入れ、今日もバッハに向かう私である。