バッハシリーズが終わって、1週間が過ぎた。連休の初日にもかかわらず、また慌ただしい年末にもかかわらず、多くの方々が長時間のコンサートに耳を傾けて下さり、言葉には表せないほどの幸せと、感謝の気持ちで心が満たされたあの日から、1週間が流れた。無伴奏全曲などという企画をやれば、後で疲れることはわかっていたが、それは肉体の疲れではなく、精神的な疲れのようだ。まだ半ば虚脱状態で、夜中に目が覚めて何時間も寝られなかったりする。次の仕事があればこんなに間延びすることはないのだが、今はとにかくだめだ。このまま正月を迎え、5日まで休んで、その後に体勢を立て直そうと思っている。
だめだと言っても、日常生活はいつもと変わらない。一昨日は5人のレッスンをしたし、昨日はガラス拭きに精を出した。そして今日は、今年最後のレッスンをした。本当に2011年が終わってしまうのだ。
日本にとって、2011年はまさに大変な年だった。震災、津波、そして原発事故。中でも原発は、考えれば考えるほどやるせない出来事だった。そういえば、政治もかなりやるせない。こんな時、いわば非常時なのに、政府や国会議員の人々は、自分たちのことばかり考えているように見えてしまう。そんなことだから、国民も希望を持つことができないのだ。私自身も、どうしても心が浮き立ってこない。
でも、自分だけのことを考えれば、今年はそれほど悪い年ではなかった。むしろ「よくやった」と自分を褒めても良いだろう。
2月に名古屋の大学でのレッスンを修了し、すぐ20年ぶりのアメリカ旅行。コンサートは大成功だったし、何人かの懐かしい人たちにも会えて、最近になく楽しい日々であった。その最中に、NHKの教育テレビ(Eテレ」で折々に流す3分間のスポットの中でヴァイオリンを弾く、という仕事の話が来た。演奏は15秒か20秒ぐらいだったが、私のヴァイオリンの音が人々の茶の間のテレビから流れるのかと思うと、それだけでわくわくした。バッハ無伴奏のCD録音も近づいていたし、私の「やる気」は頂点に達していた。
そこへ、震災が来た。翌日は、私的な会合でバッハを弾くことになっていたが、朝になって中止が決まった。そして13日には、NHKの仕事もキャンセルされた。19日に収録が決まっていたのだが、それどころではなくなってしまったのだ。やむを得ないとわかってはいても、私の気持ちは大きく落ち込んだ。21日の清里でのコンサートも延期。しかしこれは、「復興を祈る音楽の午後」として、別のプログラムで行い、10万円近い義援金を集めることができた。CD録音も、一時は実施が危ぶまれたが、三重県総合文化センターのご親切な計らいで、4月と6月に予定どおり行って、年末にCDがリリースされた。
4月以降の仕事は、すべて予定どおりに行うことができた。5月には、名古屋でパートナーの土屋美寧子とベートーヴェンのソナタ全曲演奏会。7月には、愛弟子でドイツに住む田島高宏君を迎えての「アフタヌーンコンサート」、8月は歴代参加者に集まってもらって「八ヶ岳サマーコース&コンサート」の25回を記念する素晴らしい音楽会ができた。さらに、11月から12月にかけては藝大フィルとのロドリーゴの協奏曲、兵庫芸術文化センター管弦楽団とのバッハの協奏曲、プラハでの28年ぶりの演奏、そして「クリスマス・バッハシリーズ」でのバッハ無伴奏作品全曲演奏と、久しぶりに「多忙な演奏家」としての日々を過ごしたのだった。幸せをかみしめつつ、健康に気を付けてなるべく多くの練習時間を確保するように心がけながら、夢中でこの日々を乗り切った。
だが、それが嵐のように通り過ぎてみると、いかにも頼りない新年が待ち構えているのを感じて、唖然とする。11月からの忙しさは、たまたまいくつかの演奏会の時期が重なっただけで、このところ減少傾向にある私の演奏回数が特に増えたわけではない。とりわけ震災以降は、新しい演奏の依頼が極端に少なくなっているように思える。「被災地の方々のために何かできないだろうか」と考えてツイッターなどで働きかけてみたが、どこからも私の演奏が必要だとの声は上がらず、東北でのコンサートは全く実現させられなかった。来年こそは、そのような機会が作れることを願っているが、果たしてどうだろうか。
もちろん、被災地以外でももっともっと多くの機会に私のヴァイオリンを聴いていただきたいと思っている。そのために、私は何をすべきか、何ができるか、それはよくわからない。でも、種はまいている。バッハやベートーヴェンの全曲演奏、CD製作など、できるだけのことはした。どこかで、「和波の演奏を聴きたい」と思って下さる方が声を上げ、行動して下されば、コンサートは実現できる。ボランティアというわけにはゆかないが、良い音楽を聴こうという方々が集まってくださり、一定の環境が整えば、どこへでも積極的に出かけて行って演奏したいと考えている。
「八ヶ岳サマーコース」も、去年は受講者が少なかった。今年は、日数をさらに短く、7日間にして実施することを決めたが、参加者が増えてくれることを祈るばかりだ。歴代参加者の中には、繰り返し八ヶ岳を訪れて私たちのレッスンを受け、共に夏の1週間を過ごした人たちが少なくない。彼らがサマーコースの楽しさや意義を周囲の人たちに伝えてくれ、八ヶ岳ファミリーの和を広げてくれたら、サマーコースという私たちの音楽の火を点し続けることができるだろう。
「後進に道を譲る」という考え方もあるだろう。確かに、しゃかりきになって頑張っていた30代、40代の頃の体力はないかもしれないが、もっと内容の深い音楽で聴き手に語りかけることはできると思うし、そのためにこそ私が活動を続ける意味もあるのだと信じている。心と体の健康を保ちつつ、可能性が開けた時は全力で応える、そんな生き生きした新年を送りたい。そしてなによりも、日本の雰囲気がより前向きなものに変わり、多くの人々の心に希望の灯が点る1年であって欲しいと願っている。