紀尾井ホールでのコンサートからちょうど2週間が過ぎた。無事にコンサートを終えた喜びにほっとしながらも、私は気ぜわしく、休まる暇のない慌ただしい毎日を過ごしてしまった。
そして今日は、弟が経営する軽井沢の小さなライブハウスでバッハの無伴奏を弾くため、昨夜からこの町のホテルに滞在している。
昨夜は12時前に眠ったが、4時半には目覚めてしまった。ネットラジオでベルリンの放送局に繋いでみると、ベートーヴェンの「第9」の2楽章をやっていた。素晴らしい演奏だと思って聴いていると、3楽章の前でソリストが登場し、アナウンサーが「ヴァルトビューネ」からの中継である」とコメントした。ベルリンフィルの今シーズンを締めくくるコンサートのライブ放送だった。
躍動的で見事な演奏に、しばし我を忘れて聴き入った。終わると、観衆から大歓声がわき上がり、長いアンコールが続い」た。
アナウンサーは、第4楽章の中間部と最後にトライアングルやシンバルなどが登場してくることに触れ、「ベートーヴェンがトルコ風のマーチのスタイルを取り入れたのは、世界中が一つであるというこの曲の理念を表現するためだったと思われる。今トルコで起きている大衆の運動のことを思った」と語っていた。
「第9」の理念は、「苦悩の後に歓喜が来る」というものだ。今私の母は、膝の関節の下の骨が傷つき、病院で痛みに耐えている。「今は苦しくても、かならず良くなる日が訪れるに違いない」と私は信じているが、少しずつ気持ちが弱って行く母の声を聴くと、不安が広がる。
人間は誰でも最後は死ぬのだ。それが「歓喜」なのだろうか。もし痛みに苦しみながら命の終わりを迎えたら、それは確かに「苦しみからの解放」かもしれない。舌癌に苦しんだ父も、そうであった。だが母には、もう一度痛みのない楽しい日々を経験してから人生を終えて欲しい。心から「生きていて良かった。幸せな人生だった」と納得して父の許へ旅立って欲しい。
だが、今の私には母の痛みを和らげる力がない。ただ慰めと激励の言葉をかけることしかできない。こんな息子で良いのだろうか。「第9」の最後のような歓喜の瞬間を母に味わってもらうには、どうすれば良いのだろうか。そんなことを考えながら、はるかベルリンでの演奏を聴き終わった。
今日は、お客様は少人数と思われるが、私はしっかりバッハと向き合い、今の私の祈りと、皆の心の平和を願う音楽を奏でよう。そう強く思う、日曜日の夜明けである。
軽井沢にて
2013年6月23日