近づくバッハシリーズ

2010年12月22日

 今日は冬至。いよいよ2010年も残り少なくなってきた。私は恒例の「クリスマス・バッハシリーズ」を控えて、産みの苦しみを味わっている。

 最近はどうも仕事の能率が悪く、いつも忙しがって過ごしている。仕事量自体は増えていないはずなのに、忙しいことをストレスに感じるのは、やはり年齢のせいなのだろう。特に先週とその前の週は本当に疲れた。

 12月9日に、愛知県立芸大で弦楽器専攻生のために公開レッスンを行った。1時間半という短い間だったが、バッハのイ短調ソナタのフーガと、ベートーヴェンのクロイツェルソナタの第1楽章が演奏された。自分の門下生ではないので、初めて私のレッスンを受ける学生に、短時間でどんなアドバイスをするかは、なかなか難しかった。

 11月に、私が尊敬するヴァイオリニスト、ジュリアーノ・カルミニョーラの公開レッスンを聴きに行ったが、内容的にはとても参考になったものの、「個人レッスンを後悔でやっている」との印象が拭えなかった。もう少し聴衆を意識し、全体的な説明があってもよかったと感じたので、私はまず、今聴いたばかりの演奏に対する大まかな印象を述べ、自分が感じた問題点を挙げ、その後で実際に弾いてもらいながら、「私ならこうする」といった意見を述べた。時々自分でも弾きながら説明し、学生にも繰り返して弾いてもらって、ある程度理解できたと思ったら先へ進む、というレッスンで、どうやら無事に終わった。

 常勤の先生方は、すぐ会議があったためご感想を伺うことができず、門下の学生たちと学食で昼を食べた後は、3人の個人レッスンをして、6時20分の新幹線で東京へ戻った。その後、公開レッスンで演奏した学生からのお礼や、先生方からのご感想のメールが届いて、私のレッスンが少しは役立ったことを知り、心底ほっとした。当事者や聴衆の表情を見ることのできない私にとっては、直接のメッセージだけが頼りだ。だが、全体的に日本人にはシャイな人が多く、この公開レッスンの日も、午後から教えた門下の学生たちは、午前中の公開レッスンについて一言も言わなかった。まあ、先生に対して感想を言うなどというのは失礼だ、と考えても当然なのだろうが、一言「お疲れ様でした」と労をねぎらってくれたら、ずいぶん疲れがとれたことだろうと思う。言葉は時として相手を傷つけることもあるが、逆に相手を元気にすることもある。特に私と接する人には、多くの言葉を発してもらえると有り難い、という思いはいつも抱いている。贅沢な望みかもしれないが、見えないために不必要な孤独感に襲われることもあるのだと、知っていただけたら有り難いと思って、あえて書いてみた。

 さて、その翌日からはバッハのリハーサルが始まった。私のところには楽器がないから、共演者である武久源造さんの荻窪のスタジオへ通う日々が続いた。初日は美寧子に送ってもらったが、彼女はすぐに帰り、リハーサルは5時間に及んだ。この日は彼のお弟子さんが一緒だったが、2回目のリハーサルは、雨の中を一人でタクシーに乗って行き、ずっと二人だけでやった。お互いに、一人である程度の時間を過ごすことには慣れているのでさほどの不便は感じなかったが、仮に隣家で火災が起こって飛び火でもしたら、地形のわからない私はさぞ困ってしまったことだろう。後でそんなことを思うのだが、大して心配もせずに、この日も長時間のリハーサルをした。その後さらに2回の練習と、教会での小規模なコンサートをやり、後は25日の最後のリハーサルを残すのみとなった。

 武久さんは、知識もアイディアも抱負だし、それぞれの曲へのイメージもはっきりしているので、私にはとても参考になるし、一緒にやっていて面白いうえ、刺激にもなっている。ただ、彼の歯に衣を着せないものの言い方には、最初は戸惑いを覚えた。初日のリハーサルからどんどん自分を主張し、私にいろいろと注文する。このような相手は初めてなので、新鮮でもあったが困りもした。私はむしろ、(特に初めての共演の場合は)相手がどんな音楽をやりたいのかを十分に観察してから自分の意見を述べることにしているので、明らかに違ったアプローチである。

 同じ視覚障害者でも、彼は私よりはるかに自立心に富んでいる。私は幼い頃から周りの人たちのお陰で音楽の道に入り、母の献身によって勉強を続け、今はまたとない伴侶に恵まれてどうやら仕事を続けている。だが彼は、自分で自分の道を切り開いてきた人だ。その半生について、詳しくは承知していないが、少なくともご両親が視覚障害者だったことは知っている。お父様とは、何度かお会いしたこともある。その武久さんが、ヴァイオリニストよりははるかに多くの音を暗譜し、日常的に室内楽とも取り組んでいるというのは、私には驚異としか言いようがない。

 そのような彼に鋭い指摘を受けると、古楽については私の方が一目置いているので、ついすくんでしまう。それでも反論しようとすると、負かされてしまう。生徒が見ていたら、さぞ痛快に思うことだろう。とにかく、そんな感じでリハーサルが進行し、コンサートが近づいている。初めて自分の楽器にガットのE線を張ることも試みたが、かなりうまく行っている。多くのお客様がお集まり下さり、例年とはひと味違う今年の「クリスマス・バッハシリーズ」をお楽しみ下さることを、心から願っている。