間もなく名古屋とお別れ

2010年12月31日

 レッスンや消化器の検査で年末まで忙しかったため、点字の年賀状書きが今日の午後になってしまった。3時間で20通を書いたが、最近はパソコン入力でばかり点字を書いているので、手書きが久しぶりなうえ、葉書に打つのは力が要るので、少し手が痛くなった。でも、友達や知り合いに思いをはせながら短い文章を書くのは楽しい。

 そんなとき、私はバックグラウンドになにか音楽を聴くことが多い。今日はパソコンでBBCのラジオを聴いていたが、途中で思い立って、11月10日の長久手での演奏会のCDを聴いてみた。愛知県立芸大の大学院生たちと行った弦楽合奏のコンサートである。3週間前にその録音のCDRをいただいたのに、忙しくて聴くことができなかったのだ。

 この演奏会は、私にとって2010年の最も心に残る思い出となった。もちろん、岩崎洸さんとのトリオや、武久源造さんとのバッハなど、プロとして満足のいく仕事ができたことも嬉しかったが、長久手のコンサートは、私が弦楽合奏を指揮した8年ぶりの演奏だったし、4月から続けてきた授業の成果を発表する場でもあったのだ。名古屋の大学を去る直前にこのような機会が与えられたことに、改めて深い感謝の念を覚える。

 今聴いてみると、荒削りのところもあるが、皆が前向きに、そして心を合わせて真剣に弾いている様子がよく伝わってくる。「愛知の最終年に良い思い出ができたな」と改めて嬉しさがこみ上げてきた。

 そう、来年の2月には、県芸でのレッスンが終了する。生徒たちとも、ご親切な先生方ともお別れなのだ。最初から非常勤の任期は最長6年と決まっていたが、私は4年も勤めれば良いだろうと思ってお引き受けした。だが、教えている学生たちを途中で他の先生に委ねることにも不安があったし、「卒業まで教えてほしい」と言ってくる生徒もいたし、結局は任期いっぱい勤めることになった。4月から7月まで、10月から12月まで、そして1月と2月の前半、私はほぼ週に1度名古屋へ日帰りした。これは決して楽なことではなかったが、名古屋では学生たちが最寄り駅からの送迎を引き受けてくれたし、門下の学生が帰りの新幹線まで同行してくれるなど、皆できる限りのサポートをしてくれた。そういう親切や温かい心が、私に名古屋通いのエネルギーを注ぎ込んでくれたのだった。

 名古屋でのレッスンは、私にさまざまな課題を突き付ける試練の場でもあった。母校でもあり、慣れ親しんでいる桐朋学園の学生や、名古屋の前に教えていた東京芸大の学生とは、愛知県芸の学生の気質はやや違っていた。簡単に言うことは難しいが、相対的にやや消極的というか、恥ずかしがり屋というか、奥ゆかしいというか、そんな感じなのである。つまり、目の見えない私にとっては、彼らの気持ちがストレートに伝わってこないので、理解しにくいという体験をすることが少なくなかった。そんな状況で、私が学生のことを誤解したり、逆に私が誤解されたりといったことも起きた。

 だが、今回の合奏をやって、私には彼らの長所がはっきりと認識できた。彼らの気質は、素朴な温かさや優しさなのである。そして、それが私を6年間愛知県芸にとどめ置いてくれたのだと、納得した。同時に、今年度限りでこの大学と分かれることが、どうにも耐え難いほどに寂しいことに思えてきた。名古屋通いが終わったら、「任期を全うした」との満足感よりも、寂しさと空虚さが心を覆ってしまうのではないかと思う。

 そこで私は、危機管理を実行した。自分にプレッシャーをかけることで、寂しさを振り払おうというのだ。2月後半には20年ぶりのアメリカ旅行に出かけて、オハイオ州のライト州立大学で演奏会を開く他、ボストンでも私的な演奏をする予定だ。続いて4月と6月には、18年ぶりとなるバッハ・無伴奏作品のレコーディング、5月には名古屋で、2日間にベートーヴェンのヴァイオリンとピアノのためのソナタ全曲を、土屋美寧子と共に演奏する合計6時間のマラソンコンサートなど、企画や計画が目白押しである。これらを一つ一つ精魂込めて実行することで自分を高める……それが2011年の目標である。混沌とした日本だが、私の音楽を聴いて下さる方々には、常に確かなもの、常に安心できるもの、常に温かい心が通うものを感じていただけるように、自分を鍛えながら楽しくやって行こうと思っている。