2015年の終わりに

2015年12月31日

 去年の大晦日はベルリンのホテルで、外からの花火の音を聴きながらブログを書いていた。今年は、東京の自宅で静かに新年を迎えようとしている。
 妻の美寧子とは、ヨーロッパで二人だけの年越しをしたことが何度かあった。しかし、日本ではいつも母が一緒だったから、今年は結婚後39年目にして、初めて二人だけの年越しを経験する。年末まで息もつけない忙しさだったので、こういう静かな正月もよいかな、と今年は弟や生いたちとの元日の祝いも省略することにした。弟は仕事で東京を離れており、来週は一緒に墓参りに行く予定だ。
 母がいないのは寂しいが、天国から守ってくれ、応援してくれているのだと実感することが、今年は何度もあった。70歳記念コンサートの成功、大学やプライベートの生徒が増えたこと、室内楽やコンチェルトの演奏で貴重な経験ができたことなど、幸せな思い出がたくさんの1年。その年を終わるに当たって、改めて私の活動を理解して支えて下さる方々と、私の音楽を愛好して下さるすべての方々に、心からのお礼の気持ちを届けたい。
 仕事の量はさほど多かったとは言えないが、一つ一つ重みの感じられる仕事ができたのは嬉しいことだった。演奏面では、進歩できたところと、課題を来年に持ち越したところがある。来年も、理想とする演奏に近づけるよう、今年の反省を生かしながら練習を重ねて行きたい。
 これからしばらくはコンサートのない状態が続くが、この期間にしっかり心身を休めてリフレッシュし、次への備えも怠らないように、メリハリのある生活を送ることに心がけよう。体調の良い日も、悪い日もあるだろうが、素直にその時の自分を受け入れ、適当に優しく、適当に厳しく、自分自身に向き合って行きたいと思っている。
 今日は、すっかり怠けてしまった「整理整頓」に心がけたが、片付けるより過去の思い出に耽る時間が長くなってしまった。20数年前の日記を読むと、そこに現れる私は、今とは全然違った人間のように思えてしまう。「こんなにたくさんの仕事を、どうやってこなしたのだろう」と、まるで他人事みたいに感心してしまう。美寧子も演奏に、レッスンに、そして母との同居生活に、全く休む間もない毎日を過ごしていたことが、私の文面から伝わってくる。少しページをめくれば、夫婦喧嘩の話があちこちに出てくる。おそらく、今の10倍ぐらいの割合で喧嘩をしていたに違いない。忙しいから余計に気持ちがとげとげしくなって、喧嘩をしたのかもしれない。
 だが、現実に戻った時、私は幸せに包まれている喜びを感じる。時々辛辣なことを言うが、基本的には優しい妻がいる。私の音楽から元気を得たと言ってくださる方々、私のレッスンを拠り所にして成長しようとする若者たちもいる。孤独ではないんだ、と思う時、じんわりと喜びが湧いてくる。
 勿論、小さな問題はいろいろあるが、とりあえず今は大きな心配のない状態で年が越せる。世界のあちこちで危険と隣り合わせに、あるいは貧困の中で、苦しみながら生きている人たちがいることを思えば、この幸せには深く感謝しなければならない。日本の、そして世界の将来を考えると、暗澹たる気持ちになるが、その中でも音楽を続けていられることに感謝し、私の音楽で少しでも多くの人の気持ちを明るくしたい、との希望を胸に、まっすぐに生きて行きたい。来年も良い年になるよう、祈りと共に努力を続けようと思っている。