気掛かりの多い新春

2016年1月6日

 新年に入って6日目。私は発表会を控えて、毎日生徒のレッスンに追われている。バルトークやバッハの作品でリサイタルを開いたのが2週間前だが、もっとずっと昔のことだったような不思議な感覚がある。
 ところで、ラジオに出演した近藤勝重氏が、「今年の正月は見たくないものを見せられ、聴きたくないことを聴かされ、考えたくないことを考えさせられる正月だった」と語っていた。年賀状にも怒りや不安、諦めの気持ちを綴ったものが多かったとのこと。そう言えば、私が受け取った年賀状にもそうした文面がいつもより多く見られた気がする。
 そしてまた、今日も聴きたくないニュースをいろいろ聴くことになった。国会では、安倍首相が不必要に声を荒げて、挑発的なしゃべり方をしていた。「まるで戦争前夜のようだ」と感じたのは、私だけではないのではなかろうか。敵を作ることで自分を活性化させる、最も好ましくない人物が、今の日本の首相になっていると感じる。
 さらに、北朝鮮の水爆実験である。とんでもないことをしてくれるものだ。人類は平和に向かって歩まなければいけないはずなのに、なぜわざわざ敵を作って争おうとするのだろうか。
 おそらく安倍首相は、この挑発でますます活性化されるのだろう。そして怖いのは、日本の世論がどこへ行くかということだ。勇ましい指導者に引きずられて隣国への敵愾心をあらわにする人たちが増えてきたら、もう取り返しのつかないことになる。そんな首相の暴走を許さないためにも、参議院選挙では野党に頑張ってもらいたいのだが、その野党が全く頼りない。走り出してしまった悪い流れを、果たして止めることができるのだろうか。心配ばかりの年の初めである。