自分だけの日記

2013年1月19日

 どうも最近は、過去の出来事を頭の中で時系列に並べるのが苦手になってきた。昨日、私が長年教えていたTさんが29才の誕生日を迎えたと、フェイスブックが知らせてきた。つい3日前、赤ちゃんを見せに訪ねてきてくれた愛すべき生徒である。
 彼女が生まれた年は、私がヨーロッパでの拠点をスイスのバーゼルからロンドンへ移した年、東京と大阪で齋藤秀雄先生の没後10年に合わせてメモリアル・オーケストラの演奏会が開かれた年だ。このメモリアル・オーケストラが、後に「サイトウ・キネン・オーケストラ」へと発展したのだ。
 ところで、Tさんは中学2年だった14才の誕生日に、初めて我が家を訪れて弟子になった。中学卒業までは長野から上京してレッスンを受け、見事に桐朋学園女子高校音楽科への入学を果たしたのだった。
 そこまで考えて、私の頭は「あれ?」となった。阪神大震災と彼女の発レッスンと、どっちが先だったかな。ふとわからなくなる。もちろん、すぐに思い出した。彼女がレッスンに来たのは1998年だから、震災の方が古い出来事に決まっている。だが、頭が納得しない。震災は、ついこの間の出来事のように記憶しているが、彼女との付き合いはずいぶん長い感じがして、「震災より前からTさんのことを知っていたはずだ」と思ってしまう。あり得ないことなのだが、どうもこうした錯覚が最近は多い。
 私は、34年前から毎日点字の日記を付けてきた。最初は点字版を旅行先にも持ち歩いて、手書きで付けていたが、15年ぐらい前からは専ら電子手帳で書いている。ところが、2010年にバックアップを取っていたUSBメモリーの破損という事件で、2ヶ月分を失ってしまった。その挫折感からか、一昨年も去年も、毎日書き続けることはできなかった。書いてさえあれば、頭の中で「あれはいつのことだったかな」と悩んでも、なんとか答えを見つけ出すことができる。だが、日記書きさえもままならないとなると、どうにも心許ない気分になる。
 今はフェイスブックにツイッター、そしてこのホームページと、書くところがたくさんあるが、やはり自分だけが読む日記は大切だと思う。そこに思いの丈を綴ることで、心の整理ができたりするし、自分だけで過去の出来事を読み直して思い出し笑いをする楽しみなどもある。日記が毎日書けなくなったのは、きっと仕事の能率が落ちてきて始終忙しがっているからだろう。過去を思うことより、現在と将来のことをきっちりやる方を優先させなければならないのは当然だが、それでも私は、たとえ毎日でなくても、自分だけのための日記を書き続けたいと思っている。