パリの日々

2013年2月13日

 昨日の朝早くパリに到着し、妻の美寧子と私の短いヨーロッパ休暇が始まった。二人でこちらへ来るのは1年2ヶ月ぶりだが、前回はプラハでの私の演奏に美寧子が同行してくれたもので、滞在は4泊、それこそ観光もかの字もない、慌ただしい仕事の旅行だった。しかし今回は演奏がなく、オペラやコンサートを心ゆくまで聴き歩こうという旅である。
 去年は、ちょうど同じ時期にパリとドイツのヘアフォルトへ1週間の一人旅をした。美寧子はソロリサイタルの準備があって、ヨーロッパへ遊びに行く余裕がなく、私だけが出かけることにした。といっても、一人ですべてがやれるわけではない。短期間ではあったが、両都市に住む昔の教え子に全面的に世話をかけての旅だった。
 あの1週間は、今も私の中に忘れ難い思い出として刻まれている。だが、今回は妻との二人旅。当然のことながら、私の生活や心持ちも全く違うものになる。二人一緒に楽しんで、日頃のさまざまなストレスから一時的な解放を得、新たな活動へのエネルギーをもらって帰ろうという旅である。
 私たちを迎えてくれたパリの天候は、どんよりした曇り空から時々雨が落ちてくると言う、いささか悲しいものだったし、ホテルの部屋も思ったより狭かった。早朝のパリに到着し、早速近くのスーパーでパンや果物を買い求め、部屋でそれらを食べてから夕方近くまで眠った。それでも、どこか体に違和感があり、あまり快適に感じないまま二人でオペラ座へ出かけた。
 上演前に食事を、というわけで有名なCaffe dela Paixに入り、とびきり美味しい料理を味わったのだが、あまり時間がなくて、豪快なチョコレートデザートを少し残してしまい、体のためには良かったかもしれないが、少し悔しかった。美寧子は、「それ全部食べるつもり?」とあきれたような声を出したが、そこには「時間がないのに」というニュアンスと「カロリーオーバーだよ」という警告の響きが含まれていた。
 私も遅刻は嫌なので、諦めて席を立ったが、久しぶりのオペラ座(ガルニエ)では、正しい席を見つけるのに少々苦労し、席に着くのと指揮者が出てくるのが同時であった。そして、宮田まゆみさんの奏でる笙の透き通るような、神秘的な和音が静かに流れてきた。
 バレエ、特にモダンバレエの場合は、ビジュアルアートとしての要素が非常に強くなると思う。昨夜も、美寧子は踊り手の演技や振り付けと共に、照明の斬新さとその洗練度にも感心していた。だが、照明などと言われると、私はもう完全にお手上げである。「目の見えない人は、心の目で物を見る」と言われることがあるが、それはちょっと違う。目で見る代わりに、資格以外の感覚に訴えてくるものから最大限の情報を得ようと努力するだけだ。だから、そこに情報がなければお手上げだし、どんな色の照明がどんな風に当たっているかなどは、たとえ説明を聞いても「ああそうですか」と言うだけのことになる。したがって、昨日のバレエの場合は、目で見ている人の3分の1ぐらいしか楽しめなかったと思う。
 それでも、石井真樹さんの音楽の素晴らしさには引き込まれたし、雅楽の3人や和太鼓のアンサンブルにオペラ座の打楽器セクションが絡む場面の緊張感は圧巻であった。祭り囃子のような音楽をオペラ座で聴くのも、また一興であった。そして、聴衆の温かい反応と、その中に身を置く喜びはたとえようもなかった。
 私がビジュアルアートを鑑賞する場合は、美寧子というフィルターを通すことになるが、それでもビジュアルアートから心を背けてはならないと思っている。明日は列車に乗って、最近開館したルーブル・ランスへ出かける。夜はパリでコンサートを聴くので、博物館に滞在できるのは2時間程度だと思うが、それでも日本人建築家のサーナが手がけた建築から何かを感じられるのではないかと期待している。美寧子も、時間があれば絵を鑑賞するのが好きであり、私も説明を受けながら一緒に歩くのが好きだ。静かな博物館の雰囲気も、私にはしっくり来る。どんな旅になるか、楽しみである。
 最後に、今日はオペラ座でツェムリンスキーの「こびと」とラヴェルの「子供と魔法」を聴いた。後者は、34年前に同じオペラ座で、小澤征爾さんの指揮で聴いて衝撃を受けたものだが、今日はポール・ダニエルの指揮する温厚な演奏。それでも、オーケストラやコーラスの響きの美しさを堪能し、音楽の斬新な工夫にも改めて感心した。手を抜くことのない真摯な演奏、聴衆の熱心な拍手、やはりここの電灯は素晴らしいと改めて思った。