前の日記から、たちまち5日が過ぎた。ここはベルリン、そして明日はもう帰国である。「毎日書き込むぞ」と勢い込んで、前回の日記はかなり夜遅くまで頑張ってまとめたのだが、翌日は完全に挫折した。
11時前の列車で1時間10分をかけてランスへ行き、ルーブル・ランスに4時間ほど滞在。パリに戻ってパリ管弦楽団のコンサートを聴いたわけだが、やはりこの日程はいささかきつかった。それでも、列車は全く遅れなかったし、多くの観光客で賑わう平屋建ての地方都市の博物館も、大変貴重な経験だった。
問題は、パリに6時過ぎに戻ってから、8時にコンサートが開演するまでの時間の過ごし方であった。その時の気分で、一度部屋に戻るか、まっすぐサル・プレイエルへ向かうかを決めれば良いと気楽に考えていたのが、今思うとちょっと甘かった。結局「まっすぐ行ってホールの近くで食事をしよう」と美寧子との相談がまとまり、地下鉄を乗り継いでホールまで行った。その近くで食べるところを探したが、これが難しかった。2日前に、時間がなくなって慌てて食事を切り上げた経験があったので、ちゃんとしたレストランは敬遠し、簡単に食べられそうなところを探したわけだが、なかなか手頃なところがなくて時間を取られてしまった。知り合いもいるのだから、尋ねるなどしてあらかじめ調べておけば良かった。悔やまれるのは、去年一人で来て、昔の生徒の案内で手頃な夕食を取った店があったのに、その名前などを全く覚えていなかったために美寧子を案内して行けなかったこと。自分自身の情報管理の甘さに腹が立った。
ようやく入ったのは、カウンター席でサラダやサンドイッチ、お菓子などが食べられる店。コーヒーショップとでも言えばよいような店だったが、そこで私は、不覚にも柱に顔面を強打してしまった。疲れと、少し慌てていたのとで、美寧子はそこに柱があることに気付かなかったようだ。気付いていれば、「気を付けて」と必ず声をかけてくれる彼女である。私も、いささか注意力が散漫になっていたのだろう。無警戒にぶつかってしまったため、激しい痛みと共に、目の上にこぶを作ることとなった。急いで食事をし、ホールのロビーで、美寧子が冷たい水に浸してくれたハンカチを顔に当てて痛みをこらえていた。そんなわけで、せっかくのパリ管も、もう一つ集中力を持って聴くことができず、大変残念だった。
この日のパリ管は、華やかな音と個人技の素晴らしさが印象に残った。指揮者のテミルカーノフは、プロコフィエフの組曲「キーゼ中位」、チャイコフスキーの「ロココ風主題による変奏曲」、それにムソルグスキーの「展覧会の絵」というロシアもののプログラムをひっさげて登場したが、ロココでは若いソリストのアリサ・ヴァイラーシュタインのチェロとの感覚のずれが気になったものの、展覧会の絵ではいささか大仰な表情がロシアらしさを感じさせてくれた。
幸いなことに、翌日は痛みもほとんど去り、私たちはベルリンへ移動してきた。パリと同じCitadinesという、小さな台所の付いたホテルに入ったのだが、ここは建物が新しく、部屋も広くて暖かく、すっかり気持ちがくつろいだ。やはり、私たちにはベルリンの質実剛健な雰囲気が合っているのかもしれない。パリも楽しかったが、ベルリンでこれほど豊かなくつろぎを与えられるとは期待していなかっただけに、ことのほか幸せな気持ちになれたのだった。
ベルリンは、私にとって若いころからのたくさんの思い出が詰まった町である。それを書き連ねたら切りがなくなってしまうが、中でも1969年に開いたデビューリサイタルのことを、今回は何度も思い出した。そのリサイタルのメインは、ブラームスのソナタ第2番だった。ドイツのピアニスト、ロタール・ブロダック氏のいかにもドイツ的なブラームスに大きな刺激を受けながら弾いたその曲が、今年6月の紀尾井ホールのリサイタルのオープニングの曲でもある。
今朝、部屋で少しこの曲を練習してみた。なんだか「ベルリンにいる」という事実が、私に特別なインスピレーションを与えてくれているような気がして、いつもとは少し違うアイディアが浮かんできたりした。こういう一つ一つの経験の積み重ねで、私たちは成長し、演奏を変化させて行けるのだろう。この旅行は、そのような意味でも貴重な機会を私に与えてくれたと感じている。(ベルリンで聴いたコンサートの感想などは次回に書きたいと思います。)
ベルリン最後の夜に
2013年2月18日