明日、4月9日は、NHKが初めて「盲人の時間」という番組を放送してからちょうど50年に当たる。それを記念して、これまで番組を支えてきた盲界の関係者や歴代アナウンサー、ディレクターらが出席して、盛大なパーティーが開かれた。目の見えない者にとって、情報へのアクセスの機会が今よりはるかに制限されていた時代に、この放送は輝くような光となり、元気の源となった。そして今も、番組は「聴いて聴かせて」と名を改めて、放送を続けている。
今の若い視覚障害者にとっては、この番組の重要性は我々が感じたものより低いかもしれない。しかし、この番組が今も放送を続け、多くの視覚障害者の力となっているのは、紛れもない事実だ。そのことに思いを馳せ、番組を作ってきた人たち、また今その番組製作に携わっている人たちに感謝する気持ちは、非常に大きなものがある。それを表したいと考え、私も今夜のパーティーに出席した。そして、とても楽しく、心温まる3時間を過ごした。
主催者の配慮のお陰で、私の隣には、9年前にこの番組に出演した時のディレクター、石井さんが座った。また、1999年に大阪で共演し、来年は15年ぶりにバッハの「二つのヴァイオリンのための協奏曲」を共演することが決まっている川畑成道さんも、同じテーブルにいた。私は、テーブルスピーチで、「音楽家はなぜ存在するのか?それは平和を守るために存在するのです。障害者にとって、戦争は絶対にダメです。NHKも厳正、中立の立場を貫いて、皆のための放送を続けて欲しい」と偉そうなことを言った。でもこれは、今の私の本音である。
残念なことに、私は9年間この番組に出演していない。以前は、しばしば呼ばれていろいろな話をしたり、演奏を披露したりしたものだ。ロンドンから定期的に「ロンドン便り」を送っていた時期もあったし、中学生だった梯剛之さんにインタビューしたのも懐かしい思い出だ。まるで私は、この番組にとって「過去の人」になってしまったみたいだが、それで良いはずはない。私と同年代か、もっと上の世代の聴取者は大勢おられる。その方々のために、いや、若い人のためにも、私の考えや経験、日常生活での思いなどを発信し、聴いていただくことで、きっとなにかを感じていただけると確信している。だから諦めることなく、「もっと私を使って欲しい。人の役に立つ機会を与えて欲しい」と言い続ける必要があるのだろう。誰も言ってくれないのだから、自分で言うしかない。
ところで、今日は「一度会ってみたい」と思っていた2人のキャスターから声をかけてもらった。その一人は、広瀬修子さん。「軍師官兵」のナレーターを勤めている広瀬さんは、昭和44年頃「盲人の時間」を担当していたとのこと。面識はなかったが、1998年に「BS世界我が心の旅」でイタリアへの旅番組を作った時のナレーションが彼女だったのだ。広瀬さんはそれをよく覚えていて、私に声をかけてくれた。放送ではなじみ深い声だが、実際にお会いしてみて、放送での貫禄のある雰囲気より、ずっと親しみ深い印象を受けた。
もう一人は、遠田恵子さん。彼女は今、「聴いて聴かせて」の毎月第3週目を担当しているが、ずっと以前、「ラジオ朝一番」のキャスターだった頃から、私は彼女の温かい表情を含んだ話し方がとても好きで、愛聴していたのだ。一度、点字楽譜のことで取材の電話を受けたが、お会いするのは今日が初めてだった。青森出身と聞き、「ああ、やはりこの温かい雰囲気は東北人のものなのだな」と納得した。青森と言えば、30年前に初めて山間部の小中学校を回って演奏する仕事をしたのが青森だった。遠田さんが、スピーチの中で青森の方言について話した時、私はあの青森旅行を思い出して胸がいっぱいになるほどの懐かしさを覚えた。
とにかく、今日は心に盛り沢山の栄養をもらった、楽しく素晴らしいパーティーであった。これからも、「聴いて聴かせて」が良い番組として発展することを祈るとともに、私もその番組に再び参画できる機会が訪れることを願って帰途に着いた。
「盲人の時間」の50周年記念パーティー
2014年4月8日