2017年はどんな年に?

2017年1月13日

 今年に入って、早くも2週間が経過しようとしている。私は、7日に生徒の発表会があり、14名が心のこもった演奏を披露してくれた。その後、少し風邪気味の日が続いているが、穏やかな毎日である。
 去年の暮れまで、コンサートに追われて忙しがっていたのが、急に目標が遠のいて、今は少々拍子抜けのていだが、あまりサボるとどんどん弾けなくなってしまいそうで、それも怖い。とりあえずは少しのんびりし、それからエンジンを全開させようと思っているが、いつまでのんびりするかが問題だ。
 2月の末から10日間、ヨーロッパへ短い休暇を過ごすために出かけることにしたので、本格的にエンジンを吹かすのはそれからでよいかもしれないが、秋に演奏するバルトークのコントラスツと、ミヨーの組曲の譜読みだけは、2月上旬までに終えたいと考えている。「暗譜は大変だ」と言いながら、今年も難しい曲に初挑戦する私。自分で苦労を背負い込むのだから、弱音を吐かずにしっかりやり遂げなければならない。
 話は変わるが、私はアメリカに50年来の友人がいる。宣教師のご夫婦で、日本に来られた時に知り合い、奥様が若い私の英会話の相手をしてくださっていた。ご主人は既に亡くなられたが、私よりほぼ一回り年上の奥様は、今も元気で子供や孫たちに支えられながら暮らしておられる。
 熱心な平和運動家だったこのご夫婦と、私は本当に仲良くさせていただき、1989年には彼らの地元のアイオワ州・デモイン市で、「平和と友情のためのコンサート」と銘打ったチャリティコンサートを開いたりした。奥様は、トランプ大統領の出現をどんな思いで見つめているのか、と想像すると胸が痛む。
 彼女だけではない。人種や民族の対立を乗り越え、世界中が平和になることの大切さを訴え、そのために生涯を捧げた人は数多くいる。この私も、「捧げる」というほど大げさなことをしてはいないが、常に平和と人々の和解を願って音楽をやっている。そこへ、トランプ大統領である。彼以外にも、世界の指導者の中には、自国のこと、あるいは自分のことしか考えないような人が案外多くいるようである。しかも、彼らのほとんどは、国民の選挙で選ばれているのだ。
 平和運動に身を捧げてきたアメリカの友人は、どれほどの空しさを感じていることだろうか。私たちがどんなに反対しても、相反する人々の分断と対立は深まるばかりだ。おそらく、戦争を止めることも難しいのかもしれない。勿論、希望を捨ててはならないし、人を信じることを辞めてはならないと思うが、実際にどんな行動をとれば良いのだろう。人々が平和に暮らすために、一人でも多くの人が戦争の恐怖から解放されるために、いったい何ができるのだろう。大きな課題を背負って、2017年が動いているような気がする。