退院の朝に

2017年8月25日

 「だんだん眠くなります」という麻酔医の声がして、たぶん30秒ぐらいで、突然意識がなくなった。後は何も覚えていない。夢も見なかった。
 「和波さん」と呼ぶ声で、目が覚めた。麻酔から覚める時は、口から気管へ管が差し込まれている」との説明だったが、それは既に抜かれているようだった。あまり苦痛はない。
 はっきりしない意識の中で、指を動かしてみる。血圧測定のために手首からカテーテルを入れると聞いていたので、「それが神経を傷つけてヴァイオリンの演奏に支障をきたしたら」ととても心配だったのだ。でも、指はしびれていないし、ちゃんと動くようだ。「カテーテルは入れなかったから、安心して」との声が聞こえ、「ちゃんと考えてくれたんだな」と嬉しかった。
 ストレッチャーで病室に運ばれ、美寧子とご対面。まだ意識がはっきりせず、人の声が遠くに聞こえるようだ。でも、少しずつ頭がはっきりしてきた。
 尿管が繋がれているし、点滴や心電図も付けられている。「明日の朝までは起きられません」と言い渡され、iPhoneとブレイルメモを枕の両脇においてもらって、ラジオを聴いたり本を読んだり、眠ったりして過ごした。
 あれは先週の木曜日のこと、今はあれから8日目の朝、そして今日はめでたく退院である。
 手術の翌日から、ベッドを降りて、看護師さんの付き添いで少し病棟内を歩いた。傷はまだかなり痛かったが、「腸閉塞などを防ぐには、とにかく動くことが大切なんです」と言われていたから、一生懸命歩いた。2日目からは流動食が始まり、早く点滴を抜いて欲しい一心で残さずに食べた。お陰で、日曜日の朝には点滴が外されて、晴れて自由の身となったが、その代償で下痢をしてしまった。
 月曜日以降はそれも落ち着き、傷の痛みも徐々に遠のいて行った。そして、昨日は退院の許可が下りたのだった。ここまでの回復は順調。大腸を10センチほど切って繋いだとのことだが、手術は予想より短時間で終わり、悪いところはしっかり取り除けたとの主治医の話であった。
 これからは、食事に注意しながら少しずつ体力をつけ、9月4日の松本入りに備えることになる。病院の中では良い体調を保っているが、外の生活はこことは全く違うだろう。体重も3キロ減っているし、とにかく慌てずに、少しずつ仕事の量を増やして行こう。
 良い先生方のお陰できっちり手術が受けられ、正しい回復の道を辿ることができているのだから、むちゃをしてこの道から反れることのないように気を付けて、家での日々を過ごそう。
 1週間は外出を控えるが、待っている生徒の胤に、明後日からレッスンを再開する。そういえば、一昨日は中学生の弟子が見舞いに来てくれ、いろいろ話をして楽しかった。その子は幼稚園の頃から時々レッスンをし、小学4年生で私の生徒になったのだが、「最近の先生は優しくなられたと思う」と言った。20年、30年前の生徒からは、よくそういうことを言われるが、数年の間にも優しくなっているのだろうか。だとしたら、数十年前はいったいどんなレッスンをしていたのか、穴があったら入りたい気分になる。
 私が教え始めた当時は、厳しくすることが先生の威厳だ、という風潮があったのも事実だろう。だが、今はそういう時代ではない。私が優しくなったとすれば、おそらくは「時代の波に流された」ということなのだろう。
 だが今でも、気に染まない生徒はかなり意地悪なレッスンをしたり、遠ざけてしまったりする。私を頼ってくる生徒とは、できるだけ親切に接し、多くの生徒との関係を保って行きたいと願っているが、私が指導をしても良くなる可能性の少ない人、あるいはその人を教えることでこちらが激しいストレスを感じるような生徒は、遠ざけざるを得ないとも思うのである。
 今回の手術は、私にいろいろなことを考えさせる出来事となった。今朝は、10月に発売されるトリオのCD録音の最新バージョンを聴いてみた。シューマンの4楽章は、まるで私の退院を祝う音楽のように響いたし、ドビュッシーはその甘い旋律に目が潤んでしまった。私のすべての経験は、これから自分が紡ぎだすヴァイオリンの音に反映されるはずである。いつも素直に、自分の心を音に載せることを心掛けて、今夕から少しずつまたヴァイオリンを弾いて行こうと思っている。