八ヶ岳サマーコースは無事に終了、素晴らしい才能の持ち主が集まって、私には楽しい日々となった。もちろん、レッスンやコンサートもあるので疲れも半端なものではなかったが、好天に恵まれるなどラッキーな面もあって、気持ちよく日程を終えることができた。その総括などはゆっくり書くとして、今はとりあえず、日曜日に始まる「サイトウ・キネン・オーケストラ」に参加する準備に追われている。本当はほっと一息つきたいところだが、今年はそうは行かない。
松本でのサイトウ・キネン・フェスティバルは今年が21回目になるが、私は1998年と2011年を除いて毎年参加してきた。去年は、八ヶ岳サマーコースがお盆休みの後になり、サイトウ・キネンの日程とぶつかってしまったため、参加を諦めた。同時に、「そろそろ引退してもいいかな」との気持ちにもなっていた。だが、今年は日程的に参加できるうえ、1993年にも演奏したことのあるオネゲルの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」をやると聞いたので、事務局に参加したいとの希望を伝え、忘れもしない、1月18日の門下生発表会の開演直前に招待のメールを受け取ったのだった。
前に弾いたといっても、楽譜はきれいさっぱり忘れている。だから、古い点字譜を見つけて4月頃から少しずつ読み始めた。ところが、今年の楽譜に書き込まれた弓使いは、前回とはかなり違っている。簡単な例を引けば、前回は最初の音を下げ弓で始めていたのが、今回は上げ弓からとなっている。このような場所が、全曲を通じてかなり多かったのである。そこで、美寧子に頼んでこの新しい楽譜に書かれた弓使いをすべて読んでもらい、昔の点字譜を書き換える作業をした。点訳し直してもらった方が早かったかもしれないが、最近は点訳グループに多くの曲をお願いしているので、「自分でできることはやろう」と決めた。時間はかかったが、楽譜を細かく読み直して研究するという点では、メリットもあったと思う。
12日に始まるリハーサルは、17日の公開リハーサルまでに5日間の練習があるから、その期間もフルに活用して暗譜を完成させ、落ち着いて本番を迎えたいと思っている。ただ、9月7日と9日のオーケストラ・コンサートにも参加を要請されたので、その曲の勉強もしなくてはならない。こちらはまだほとんど手が付けられていないので、これから1ヶ月は気の休まらない日が続きそうだ。
小澤征爾さんは、私の学生時代から桐朋学園のオーケストラを指揮し、私がそこにいるのを知っておられた。指揮棒を見ずに弾いていることを十分承知の上で、私をサイトウ・キネンの仲間として誘ってくださったのである。だが、今回は彼が指揮しない。初対面の指揮者たちは、私にどんな印象を持つだろうか。それを思うと、一抹の不安がないでもない。ソリストとして共演した指揮者の中にも、私の目のことで異常なほど神経質になる人がいて、戸惑った経験がある。そのような人は、音楽で対話する以前に、私との間に心の垣根を作ってしまう。
私は、目の見えないことを気にせず音楽家として対等に付き合ってもらえる演奏家を目指して、これまでずっとやってきた。そのことは多くの方々に理解され、認めていただいている。だが同時に、こちらがいくら努力してもわかってくれない人がいることも、長い人生の中で知った。そのような人に出会った時は悲しいし、情けない気持ちになることもあった。しかし、たとえば比較的経験の少ない指揮者の場合、アイコンタクトができないというだけで極度に心配になってしまう人もいるらしく、そうした気持ちも理解して上げなければいけないと思うようになった。とはいえ、見えないものは見えないのであって、私にできることは、なるべく心を開き、その人に大丈夫であることをわかってもらう努力をすることだけだ。
しかし、たとえば誰かが私の前に立って黙礼しても、私にはわからない。だから、その人に礼を返すことはない。逆に、一言声をかけてさえくれれば、私はその人の存在を知ってきちんと対応できる。それすら面倒だと思う人は、もう諦めるしかない。これまでずっとそうだったように、松本では皆がフランクに私と接してくれることを、ただ祈るのみだ。パートナーがどんな人か、指揮者がどんな人格の持ち主なのか、それがわかるまでは不安だが、もし彼らが古い仲間と同じように私を受け入れてくれるなら、暗譜の大変さなどは物の数ではなくなってしまうだろう。今年の松本の滞在が、そんな楽しいものになることを願って、準備に勤しんでいる。