病室にて

2017年8月17日

 今年の「八ヶ岳サマーコース」は、初参加の人、一度も会ったことのない人の参加が多く、私の教え方をどの程度わかってもらえるか、少しの不安を抱きながら臨んだ。しかし、3回のレッスンを通じて、ほとんどの人たちとは良く理解し合えるようになり、私の考える方向へ好ましい変化のきざしを示してくれた人が多く、「今年も開催してよかった」と満足のうちに終了した。また、2回目の参加だった人は、1回目よりもはるかに理解が速く、私が目指す音楽の姿に近づいてきてくれたのが、非常に嬉しかった。
 学生の中には、既にハイレベルの技術を持った人がおり、そういう人には曲の様式感や時代背景を、できるだけ感じさせるような演奏を求める必要がある。一方、まだそこまでのレベルに達していない人であっても、私は常に「音楽をやって欲しい」と願っている。音を正確に、音程を正しく、というのは勿論大切だが、それと並行して、その曲が何拍子で書かれているか、伴奏にはどんなハーモニーが使われているか、そうしたことも反映された演奏を目指して欲しいと思うのである。そのような勉強をしていないと、どうしてもアンバランスな成長をしてしまうケースが多く、そうなるとせっかくヴァイオリンを勉強してきても、その努力を生かす人生を送るのが難しくなってしまう。
 勿論、そのような人たちは現在も地元で先生に就いて勉強している場合がほとんどで、私はその先生の指導を損なわない範囲でアドバイスしなければならない。そこには少々気を遣う面もあるが、基本的には、自分が思っていること、感じたことを正直に伝えることを心掛けている。ときには、それを理解してもらえないケースもあるが、ほとんどの受講者とは、3回のレッスンを通じて理解を深め合うことができる。失敗を恐れてビビった指導をしたのでは、わざわざ出かけてきてくれる受講者に申し訳ないと思うのである。
 サマーコースに続いては、3日間の「室内楽短期セミナー」を行ったが、今年は私の門下生で、大学の授業の都合でサマーコースに参加できなかった人たちがこちらに回ったため、普段はなかなかじっくり教えられないソナタのレパートリーを、美寧子にピアノを弾いてもらいながら指導できて、とても楽しかった。通常とは別の角度から指導することは、生徒にとっても、私にとっても、新鮮な経験になるし、ホームレッスンに戻ってからもさまざまなプラスをもたらしてくれると信じている。また、ずっと以前に教えていた人が、立派に演奏してくれた例もあり、これも私を大いに喜ばせてくれた。
 室内楽セミナーを打ち上げたのは、ちょうど1週間前、10日のことだった。去年は、サイトウ・キネン・オーケストラの仕事が迫っており、翌日の11日には松本へ移動しなければならなかった。しかも私は、3曲のシンフォニーの暗譜がまだ完成しておらず、11日の午前中には、サマーコースのアシスタントで札幌交響楽団コンサートマスターの田島高宏君に、およそ3時間にわたって特訓してもらった。疲れ切った挙句の松本入りで、半病人のような気分だったのをよく覚えている。
 そこで今年は、サイトウ・キネンへの出演を9月の2公演だけにしてもらい、8月後半はゆっくり過ごすことに決めた。本来なら、今日ぐらいまで八ヶ岳の山荘にのんびりする計画で、ずっとそれを楽しみにしていた。
 ところが、ある出来事がそれを不可能にしてしまった。今、私は病院のベッドでこれを書いている。元々、私は冠動脈にステントが2本も入っていて、そのためにおよそ3か月に1回は心臓の検査を受けている。ストレスが多いせいか、腹の具合も不安定になることが多いので、消化器内科にもお世話になっている。定期的に大腸の検査も受けているのだが、先月の検査で、大腸のポリープが過去1年で悪性に変化した可能性が高いと診断されてしまった。「今のうちに摘出する方がよい」と勧められ、ちょうど8月後半を空けていたので、この2週間に入院、手術を受ける決心をした。
 その外科手術が、実は4時間後に迫っているのだ。たくさんの事前検査を受け、種々のリスクについても説明を受けたが、リスクゼロの手術などは存在しないだろう。術後、今まで通りの生活に戻れなかったら、と思うと心配がこみあげてくるが、悪いものを取り去れば体調がよくなり、もっと毎日の生活を楽しめるようになるはず、と信じて手術室に向かおうと思う。
 これまでに、私は心臓のカテーテル手術を2回経験したが、いずれも病棟で準備をして、ストレッチャーで手術室へ運ばれた。しかし今回は、全身麻酔の後で種々の処置をするので、自分の足で歩いて手術室へ入れるという。「この手術を成功させる。必ず元気になる」との意思を込めて、自分の足で手術室に入って行ける。その気持ちが医師たちにも乗り移って、必ず成功させてくれるものと信じている。医師たちを信じ、自分の身体を信じ、そして音楽の神様が私を守ってくれることを信じて、手術室へ歩いて行こう。今日が素晴らしい1日になることを祈りながら。